えしぇ蔵小説集

福岡ESEグルメのえしぇ蔵の小説集です。それなりにがんばってるつもりです。

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千の灯火(ともしび) 第11回

 「いやぁだいぶ涼しくなってきたんでほっとしてますよ。街のほうはどうですか?」
 心字庭園が見える座敷でいつものように快活な表情の北村住職が言った。
 「日中はまだ暑いですけど、朝晩は過ごしやすくなりましたね」
 「今年はなんか特別暑かったでしょう?八月とかすごかったですよね」
 「はい・・・」
 「えっと、じゃぁ早速始めましょうか」
 うっかり八月に触れてしまったことを誤魔化すためか、住職は仕事のほうに話を切り替えた。暑い八月。事故のあった八月も暑くて苦しかった。
 一体いつまでみんなにこうして気を使わせるのだろうと俺はちょっと気分が曇った。俺が元通り元気になれば済む話でもないだろう。あの事実の記憶が俺も含めみんなの頭の中から薄らいでいくのを待つしかないというのは、治らない傷を眺めているような気分にさせた。
 「千如寺さんについてですね、『歴史』『文化財』『自然』『行事』『まとめ』という順番で取材を進めていきます。まずは歴史からですね。千如寺の存在を証明する一番古いものはなんですか?」
 「諸説ありますけど、貝原益軒が『筑前国続風土記』に記したところによれば、聖武天皇の勅願によって、清賀上人が寺を建てて霊鷲寺と名づけて、後にそれを千如寺と呼ぶようになったとなっています。そうなると聖武天皇ですから奈良時代に作られたということになります」
 「聖武天皇というと・・・」
 「西暦でいうと七二四年に天皇に即位しています」
 「千二百年以上の歴史はあることになりますね」
 横で聞いている遠田は眼を丸くして驚いていた。俺の耳にかすかに「すごぉい」とつぶやいている遠田の声が聞こえた。
 「ではそこを出発点にして、今に至るまでの歴史を主な出来事でたどっていきましょう。まずおさえておくべきことはなんですか?」
 「ちょっと待って下さいね。以前、寺宝展をした時に作ったカタログにおおよその歴史が書いてありますのでちょっと取ってきますね」
 そう言うと北村住職は席を立った。俺はお茶を飲んで一息つくと、横に座っている遠田を見て「すごかろ?」と言った。
 「千二百年ですか・・・なんか想像もつかない長さですね・・・」
 「それだけの時代を見てきたわけやから、いろんな事件をこのお寺は体験したんよ。全部辿るのは大変やけん、主な出来事だけ拾って記述していこう」
 住職が黒い表紙のカタログを持って戻って来た。
 「お待たせしました。ここの部分から記述があります。博物館の学芸員の方が書いて下さった文章です」
 「主な出来事だけ拾うとすれば、何がありますか?」
 俺が質問すると住職はページを繰りながら「そうですねぇ」と数えている様子だった。
 「まずは鎌倉時代の元寇ですかね。鎌倉幕府の意向で祈祷をしたという記録があります。
それから豊臣秀吉の朝鮮出兵、明治維新の際の神仏分離・廃仏毀釈・・・その間の細かい出来事を入れるときりがないですね」
 「千二百年ですからね」
 遠田はけなげに横でメモをとっていた。住職と俺の会話を聞き漏らすまいと一生懸命だった。
 「このカタログの記述をベースにして、私が図書館で調べて簡単な年表を作ってみます。それを次回お持ちしますのでチェックして頂けますか?」
 「いいですよ。そのほうが早いですね。このカタログは差し上げます。たくさん余っていますから」
 「ありがとうございます。助かります」
 そのカタログには雷山千如寺に伝わる寺宝の数々が写真とともに詳細に解説してあり、巻末に歴史について記述があった。
 遠田はそのカタログを開くと熱心に見入っていた。美しい仏教芸術は彼女を魅了したようだった。異様な真剣さだった。
 「あの、ここに掲載してある寺宝は全てここで見れますか?」
 遠田が質問すると住職ははにかみながら答えた。
 「いえいえ、全部はありません。やはり厳重に保管する必要があるものは博物館にお願いしています。湿気や盗難から守るのもなかなか大変です。でも仏像は全部見られますよ。書状類はあまりここには置いていません」
 「あの、後でまた観音堂に上がってもいいですか?」
 「どうぞどうぞ、いつでもご自由にご覧下さい」
 「ありがとうございます」
 俺が、「打ち合わせ終わったら上がろうか」と誘うとはじけそうな笑顔でうなずく遠田だった。俺はその表情がちょっとかわいく感じてしまった。

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千の灯火(ともしび) 第12回

 打ち合わせの後、観音堂に上がろうとした時に住職に来客があったので、俺と遠田の二人だけで長い階段を登って観音堂に入った。あの圧倒的な存在感の「十一面千手千眼観世音菩薩」は今日も俺たちを黙って見下ろしていた。
 どうも遠田の観音像を見上げる視線はルーブル美術館の絵画を見る人のそれだった。
 「これってどういうしくみなんでしょうね?」
 「組み立て式よ。腕とか首とか、それぞれはずれるようになっとるよ。確か昭和三十年代くらいに先代の住職が解体修理されたんよ。檀家さんや仏師さんもたくさん参加して、一大イベントみたいになったらしい。当時の新聞に掲載されたらしいよ。確か和尚さん今もその切抜き持っとるよ」
 彼女は首が痛くならないかと思うくらい一生懸命見上げていた。
 「この仏像は完璧に重心がとられてるんよ。この大きさで何も支えなしで完璧にバランスがとれてるんよ。すごいよね、昔の日本人の技術は」
 「この二本足だけで立ってるんですか?」
 「そうだよ。どこにも固定されてないよ」
 「すごい・・・」
 「観音像だけじゃないよ。このお寺全体の建築のすごさは何年か前に地震があった時に証明されたよ。あんなに揺れたのに木造の部分は全く被害なしよ。木がきしむものすごい音がしたらしいけどね。どこもなんともなかったらしい。地震の揺れとかも計算されてるんよ。今時の建築の耐久年数って一戸建でせいぜい三十年よ。それがこっちは何百年やけんね」
 「昔の日本人ができたなら、今でもできそうですけどね」
 「真剣にやればできるやろう。まぁ人材は少ないやろうけど。要するに効率が悪いからせんのよ。今では何でも判断基準は金やけんね。儲からないならやらない。たとえ大事なことでも、未来の日本のためになることでも、儲からないならやらない。それが今の日本人よ。だからこういう素晴らしい仕事をする人は今の日本では天然記念物的に少ないと思うよ」
 遠田にも何か共感するものがあったのか、うなずきながら聞いていた。俺は遠田をうながして観音堂を出た。香の匂いを払うかのように爽やかな風が頬をなでた。
 「あ、内田さんいらっしゃい」
 修行中の僧侶とすれ違いざま声をかけられたので振り向くと間須さんだった。ひょうきんな性格でいつも周りを笑わせる間須さんは千如寺の人気者だった。参詣者への寺院内の案内も間須さんが当番の時は笑いがたえなかった。俺も間須さんとは会うたびにからかいあう仲だった。
 「なんだ間須さんか」
 「なんだとか言うし。失礼な」
 「ちゃんと仕事してますか?」
 「してますよ。まったく。私ほど真剣に働いてる人間いませんよ」
 「へー」
 「今日はまたなんですか?きれいなお嬢さんを連れて。私が一生懸命働いてる時にデートですか?」
 「デートです」
 「げ!認めるし!」
 俺たちのやりとりを笑いながら見ていた遠田が割って入った。
 「初めまして。遠田といいます」
 「あ、どうも。間須です」
 「今月からうちに入社した新人ですよ。私のアシスタントです」
 「うわー、こんなアシスタントなら仕事もはかどりますね」
 「はかどりますよ」
 「あ、畜生、また認めるし!」
 小柄な間須さんが袈裟を着て身振り手振りで話す様子が滑稽なので、周りにいる参詣者の人たちもこっちを見て笑っていた。
 「ほら、間須さん笑われてますよ。そこにいるだけで笑いがとれるっていうのも一つの才能ですよ」
 「人をコメディアンみたいに!遠田さん、こんな人と一緒にいたらいじめられるだけですよ。気をつけて下さい」
 「わかりました」
 彼女が笑いながら答えると、「あぁ忙しい忙しい」とつぶやきながら間須さんはそそくさと去っていった。その後姿もどこか滑稽だった。
 「おもしろい人ですね」
 「千如寺専属のコメディアンやね」

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千の灯火(ともしび) 第13回

 雷山を下りた俺たちは昼食をとった後、百道の図書館に寄った。午後はここでたっぷり調べ物をする予定だった。この図書館はいつも利用者が多かったが、その日の混雑はそれほどでもなかった。俺は二階の机を一箇所確保して、本を探し始めた。
 遠田がなかなか二階に上がって来ないので不思議に思ったが、どうも一階で知人に会ったみたいで話し込んでいた。
 俺は図書館の雰囲気というのが昔から好きだった。静かなので人が周りにいても自分だけの世界に入ることができる。ここで調べ物に没頭している間は俺の精神状態も安定していた。自分が重荷を背負って生きていることをほんのしばらくだが忘れることができた。どういう形にしろ自分をごまかす環境が俺には必要だった。図書館以外にも見つけないといけないと思った。
 しばらくして遠田が二階に上がって来た。
 「すいません。前の会社の同僚に会って・・・」
 「その人もキャビン・アテンダント?」
 「そうです」
 彼女の声が少し暗かった。
 「どうした?あんまり気の合う同僚じゃなかった?」
 「いいえ、同期入社で仲が良かった子です」
 俺は今までずっとお互いの世界に入りこまないようにガラス戸越に彼女と話していたが、その時初めて彼女のことが心配になり、自らガラス戸を開けた。
 「前から気になってたんやけど、前の会社辞める時になんかあったと?」
 彼女は俺の横に座って悲しく笑った。
 「はい・・・ちょっとショックなことがあって・・・いづれお話します」
 何か事件があってまだ気持ちの整理がついてないのだろうと思った。退職の本当の理由もきっとそれに違いない。俺は彼女の心境を考えて、しばらくは追及しないことにした。
 「大丈夫?気分悪いなら先に帰っていいよ。午後も一緒に仕事したって会社には報告しとくけん」
 「いえ、大丈夫です」
 「そう?じゃぁ仏教行事に関する本でいいのがないか探して来て」
 「はい」
 本を探しに行く彼女の後姿はどこか寂しげだった。
 誰しも多少なりとも何かを背負って生きているはずだ。この図書館にいる人の中にも過去を背負って生きている人がいるはずだ。あの窓辺に座っている人はどうだろう?廊下を歩いている人は?外のベンチでくつろいでいる人は?みんな何かしら背負うのだ。長く生きるほどたくさん背負うのだ。死ぬまでおろせないのだ。結局はそういうことだろうな。俺の苦しみも他の人から見れば、八月に一つ大きなものを背負ったというだけにすぎないのだ。海辺の砂の数ほどある世の中の悲しみの中のほんの一粒に過ぎないのだ。 みんなすごい。乗り越えて生きている。乗り越えられずに自殺する人もいるけど、ほとんどの人は乗り越えているわけだから、俺にも乗り越えられないわけはないのだ。強く生きないといけない・・・俺の頭の中でそんな思考が走った。
 あの事故で肉親を失った人たちは今頃どうしているだろうか?遺族の会に連絡すれば誰かと連絡とることはできるだろう。でも俺はあの会との接触をずっと避けてきたので、今更連絡するのも気が引けた。
 「内田さん?」
 すぐ横に遠田が戻って来たのを俺は気付かなかった。
 「ん?」
 「どうしたんですか?なんかすごいくらーい顔してましたよ。内田さんこそ大丈夫ですか?」
 「うん。ちょっとぼーっとしとった。本あった?」
 「これはどうですか?」
 彼女は抱えていた数冊の本を机の上に置いた。
 「いいねぇ。よしよし。それじゃ『御経会』について書いてあるところ見つけてノートにうつして。由来とか歴史とかね」
 「おきょうえ?」
 「そう。御経の会って書いておきょうえ。五月にある行事やけどね。御経を開いてぱらぱらっとめくるんよ」
 「へー。そういうのがあるんですか」
 「五月になったら千如寺で見れるよ。俺も何回か見に行ったけど、その行事の意味とか由来とかは全然知らんのよ。ちょっと調べてみて」
 「わかりました」
 誰かと仕事の話をしている時は悲しみも襲ってこなかった。だがそれは打てない投手の球をファールで逃げるのと同じかもしれないと思った。

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千の灯火(ともしび) 第14回

 翌日、会社で原稿をまとめていると、高尾が俺の机の前をにやにやと笑いながら通り過ぎて行った。どうも気になる笑い方だった。きっと遠田を誘うのに成功したに違いない。他の人の目もあるのでメールで聞いてみた。
 “なんや?その笑い。誘うのに成功したか?”
 すぐに返事が来た。話したくてうずうずしているのが文字から伝わってきた。
 “成功した”
 “どこに行くことにした?”
 “土曜日に大名の雄屋(たけや)に連れて行く”
 “そうか。よかったやん”
 “すぐOKしたけん、逆になんか拍子抜けした”
 “頑張れよ。彼女も今は一人みたいやし”
 “おうよ!頑張るけん。日曜にメールで報告するけん”
 日曜?俺は日曜に何か用事があったような気がしたが思い出せなかった。
 ここで瀬戸山課長が近づいて来たのでメールは中断した。
 「今月末の熊本の美術展の話聞いた?」
 「あ、二天像の件でしょ?和尚さんからメールが来ました」
 「運び出す日と美術展の初日は取材に行くやろ?」
 「行きます」
 「高尾も行ったがいいね」
 「はい。美術展の日も高尾の写真がいります。初日だけは撮影OKですから」
 「了解。高尾に言っとく」
 「いいですよ。俺が言っときます」
 瀬戸山課長が離れていくと、また高尾にメールした。
 “月末に熊本で美術展があるけん、よろしく。千如寺の二天像が出展されるけん”
 “あいよ。”
 “運び出す日も撮影するよ”
 “あいよ。”
 ここでふっと思い出した。日曜!遠田がドライブにどうですかと言ってた日だ。高尾が誘う日の翌日に行くのもなんか非情な気がした。とりあえず日曜は空いてないことにしておこうと思った。
 そういえば彼女が見当たらなかった。昨日の暗い表情がちょっと気になった。俺は席を立って瀬戸山課長の机に行って聞いてみた。
 「今日、遠田休みですか?」
 「いや、さっき高尾が連れて出かけよったよ。内田には俺から言っておきますて言いよったけど、聞いてないと?」
 「え?そうですか。いや、別に彼女がおらんでも構わんのですけど」
 「どうや?あの子はちゃんとやりよるか?」
 「はい。仏教芸術に興味持ったみたいですよ。昨日も千如寺で面白そうに仏像眺めてましたよ」
 「そうか。あの子にも記事書かせるか?」
 「仏教行事のこととか、少し書かせてみようかなと思います。私が後で修正するんで、まずは彼女なりに書かせてみます」
 「うん。彼女のことよろしく頼むね。」
 「はい」
  なんだ。高尾め。彼女と一緒にいるんじゃないか。そう言えばいいのに。俺は高尾の行動の速さにちょっと驚いた。俺はすぐにメールした。
 “お前、今遠田と一緒におるっちゃろ?”
 “うん。あ、そうやった、お前に言うの忘れとった”
 “それはいいっちゃけど、二人で何しようと?”
 “撮影機材の買出しでヨドバシに来とる。実は土曜日の件はさっき聞いたっちゃ”
 “それが目的で連れ出したんやろ?”
 “わかる?”
 “わかるくさ!”
 “彼女今何しようと?”
 “デジカメいじってる”
 “まぁとにかく土曜頑張れよ”
 “うひひ”
 “なんがうひひか”
 日曜の報告が楽しみだ。俺とのドライブは無期延期だなと俺は安心した。

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千の灯火(ともしび) 第15回

 千秋が天に召されて以来、休日が来るのもつらいものがあった。俺と千秋は休みのたびに出かけていた。ドライブしたり、山に登ったり、天神をブラついたり、映画を見たり。それが今では掃除、洗濯、買い物、アイロン・・・家事に追われた。うちの会社は土日が休みだったが、そのうちの一日は家事で追われた。面倒くさいがしょうがなかった。何もしないでいると今度は想い出が襲ってきた。これが結構きつかった。家のどこかに千秋がいて、なにかごそごそと家事をやっているような錯覚に陥ることがたびたびあった。そしてなにか用事を頼もうと千秋を呼びそうになってふっと気付く。つらいのはその次の瞬間だ。津波のように悲しみが押し寄せてきて、すぐにぽろぽろと涙が落ちた。本当に簡単に涙が出てくるようになっていた。
 朝もつらい。夜もつらい。休日もつらい。平日の昼間の仕事中だけ、なんとか普通に生きられる。こんな状態をいつまで続けないといけないのだろうか?何度も浮かぶ疑問に答えを見出せず、ただため息ばかりついていた。
 日曜日。もろもろの家事を終えて、本でも読もうと二階の本棚の前に立った時にふと思い出した。遠田に横光利一の本を貸す約束をしていたことを。俺は横光利一の全集をとって、忘れないように机の上に置いた。そして自分の読む本を持って一階の居間のソファに腰をおろしたところで、携帯電話がなった。高尾からだった。
 「おう、どうやった?」
 「うん・・・」
 「あ、返事が芳しくないね。あんまり盛り上がらんかった?」
 「いや、べつにそういうわけじゃないけど・・・」
 「そうなん?じゃよかったやん」
 「いやいや、よくないんよ。どうもね、脈はないね、俺は下りるよ。撤退撤退」
 高尾の声には少しはにかんだような笑いが混じっていた。
 「撤退するけん、内田が行け」
 「なんで脈がないてわかると?」
 「夕べの俺たちの会話の三分のニはお前の話題やったよ」
 心の中を冷たいものが触れていった。
 「・・・千秋のことか?」
 「ん・・・それもあるけど、とにかくお前のことばっかり質問されたよ」
 「遠田は千秋の事故のこととか全部知っとると?」
 「うん。俺が説明するまでもなく、ほとんど瀬戸山課長に聞いて知っとったよ。多分課長は遠田がお前にいらん質問とかせんように先手を打ったんやろうと思うけどね」
 「遠田は俺の私生活のこと今まで全然聞かんかったもんね。そうか。やっぱりね。何か言いよった?」
 「かわいそう、かわいそうって。泣きよったよ。居酒屋で二人だけで飲みよる時に泣かれたけん、ちょっとあせったよ。ははは」
 高尾の笑い声は乾いていた。
 「俺が思うに、遠田はお前のことが好きなんやろうね。そんな感じがするよ。ただ単に同情を寄せてるっちゅうわけじゃなさそうよ」
 「そうか・・・」
 「まぁ、多分、まだそういう気持ちにはなれんやろうけどさ、誰かそばにおったほうがいいんやないか?」
 「うん・・・」
 「ま、俺の報告はそういうことよ。今週は千如寺いつ行くと?」
 「木曜日に二天像の搬出があるけん」
 「了解。朝から行くと?」
 「うん。十時には先方に入るよ。照明とか全部持って来て」
 「あいよ。そんじゃね」
 「うん」
 いつもなら高尾の陽気な声を聞くと元気をもらうのに、その時は電話を切った後に複雑な思いが残った。遠田が俺のことを聞いて泣いていたというのをどう受け取っていいのか?知り合ってまだ一ヵ月にもならないのに、身の上話を聞いて泣くほど悲しくなるものか?ただ繊細なだけか?
 どうでもいいことだと思った。自分の面倒をみるので精一杯だった。俺は思考を晩飯のおかずに切り替えた。何にしようか?自分のまずい料理を食べるのにはうんざりしていた。自分のために作った料理に愛は入っていない。まずいのはそのせいだろうと思った。

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千の灯火(ともしび) 第16回

 月曜日の朝七時に誰もいないオフィスに着いて、一人で記事を書き始めた。やはり朝は頭がさえているので集中できた。しばらくは誰も来ないだろうと思っていたら、三十分ほどして表のドアが開く音がした。誰かと思えば遠田だった。
 「あれ?おはようございます。早いですね」
 遠田は小脇に本を抱えていた。まだ眠そうな顔をしている彼女はどこかあどけなかった。
 「遠田こそ早いたい。どうしたと?」
 「私最近この時間ですよ」
 「そうなん?なんで?」
 「勉強してるんです。えらいでしょ?」
 「なんの勉強?」
 「千如寺の仕事に入ってからずっと仏教芸術のこととか、いろいろ調べてるんです。個人的にも興味があるし」
 今時ちょっと見ない真面目なやつだなと思った。意外に頼もしいかもしれない。
 「すごいやん。仏教芸術に見せられてしまったか」
 「はい。だから千如寺の二天像が出展される熊本の美術展がすごい楽しみで・・・」
 そこで彼女の表情は急に俺の反応をうかがうように謙虚になった。
 「あの・・・私も取材行けるんですよね?」
 「もちろん。来てもらわにゃ困るよ」
 「よかった!がんばりまーす!」
 爽やかな声を残して彼女がロッカールームに入りそうになった時、俺は彼女に本を持って来たことを思い出して呼び止めた。
 「あ、遠田、本持って来たよ」
 「え?何の本ですか?」
 「横光利一。前に読みたいって言いよったやろ?」
 「覚えててくれたんですか?やったー!」
 「手っ取り早いけん、全集を持って来た。これなら代表作があらかた入ってるし。横光利一の魅力は十分堪能できると思うよ」
 彼女は俺が思ったよりも嬉しそうな表情で近づいて来て本を受け取った。そして胸にしっかりと抱いて、「大事に読みます」と言った眼は少し感動すら帯びていた。なにもそこまでとは思ったが、喜んでもらえて俺も嬉しかった。
 「ちょっと着替えてきます。何か手伝うことあったら言って下さいね」
 「うん。ありがとう」
 朝日が差す静かなオフィスを歩く彼女の足取りは軽かった。
 俺はまた書きかけの記事に目を戻したが、次に何を書こうとしていたか忘れてしまった。指先でペンをまわしながら考えても思い出せない。思い出そうとしても頭の中になにかがあって邪魔をする。なんだろう?いや、実は自分でもわかっていた。邪魔をしているのは、本を受け取った時の遠田の表情だった。あの無邪気な、嬉しそうな、感動も帯びた表情が妙に心に焼きついて残った。それが俺の思考を邪魔していた。
 ロッカールームから戻ってきた彼女は、俺の机の向い側に座った。
 「土曜日ですね、高尾さんと雄屋行ったんですよ。おいしかったー!」
 「あの店おいしいやろ?俺もあそこばっかり」
 「何でもおいしいですよね?」
 「かき揚げ食べた?」
 「食べました!おいしかったー!」
 「何飲んだと?」
 「日本酒です。高尾さんが日本酒がうまいって言われたんで」
 「日本酒いいのばっかり置いとったろ?」
 「はい。二種類飲みました。どっちもおいしかったです」
 「だいぶ飲んだっちゃない?」
 「飲みました。でも次の日はすっきりでしたよ。悪酔いしませんでした。お酒がいいからですかね?」
 「そうよ。日本酒もワインも焼酎もいいのは悪酔いせんよ」
 「昨日は何も予定なかったんで、悪酔いしても別によかったんですけど。内田さんは昨日何してたんですか?何か用事あったんでしょ?ドライブできない用事が」
 彼女はちょっとすねたような表情で上目使いに俺を見た。
 「用事っていうか、いろいろ雑用がね。一人やけん休みの日は主婦にならないけんと。忙しいとよ」
 彼女の表情からさっと暖かいものが消えていくのがわかった。そして悪いことを聞いてしまったという暗い影がさした。そして一言「そっか・・・」と小さな声でつぶやいた。

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千の灯火(ともしび) 第17回

 誰かが言った。最愛の人をなくした辛さは、その人の匂いが消えていく時に一番こたえると。確かにそうだと思った。俺は千秋のものは服もアクセサリーも何もかもそのままにしてあった。彼女のことを過去にしないためのささやかな抵抗と言えた。だが徐々に部屋から消えていく彼女の匂いはどうしようもなかった。彼女のパジャマも匂いがなくなればただのパジャマだ。愛用していた香水を部屋にふりまいたりしたが、それはただの香水の匂いであり、彼女の匂いではなかった。所詮は虚しいあがきでしかなかった。
 老夫婦が死に別れるなら、もうすぐ自分も行くからとあきらめられるかもしれないが、俺はまだ三十代、日本人の平均寿命から言えばまだあと三十年は生きるかもしれない。三十年!冗談じゃない。千秋なしで三十年など生きられるものではない。この一年だけでも苦しんでいるというのに・・・。
 セラピストが必要かもしれないと思った。だが通うのは面倒だ。誰か話を聞いてくれる人を家に呼ぶべきか?呼ばれたほうはいい迷惑だ。俺の苦しみを聞かされて。やっぱりやめようと思った。
 だんだん内にこもっていくような感じだった。よくない。こういうのはよくない。このままだと鬱になるぞ・・・。
 かつて千秋と二人でいろんな苦労を乗り越えて来たが、今思えばその時のつらさなど大したことではないと思えた。むしろいい思い出として記憶されていた。どんなことがあろうとも彼女がいれば頑張れた。彼女と一緒なら俺はなんでもできた。結局は俺一人ではたいしたことは何一つできなかった。人に支えられているというのは、その時には気付かないものだ。つっかえ棒はなくなった時に初めて慌てるものだ。
 彼女に貰ったメールは残しておいた。ほとんどは他愛のないものだ。「今日の帰りは何時?」「飲みすぎたらだめよ」「六時に博多駅ね」「パンジーが咲いたよ」・・・読み返すと今もらったような気がして返事を出したくなる。天国へのメール・・・。
 俺も千秋もあまりビデオというものに興味がなかったので彼女の映像を残していないのが悔やまれた。だが動いている彼女を見ることは余計つらいかもしれないから、それはそれでよかったのかもしれない。
 俺はだんだん痩せてきた。食事がいい加減というのもあったが、とにかく食欲というものがどこかに行ってしまった。生きるのに必要な分だけ吸収して過ごすという感じだった。これではよくない。ちゃんと作って食べないといけない。料理も千秋に習ったので少しは作れた。もしかして千秋はこういう事態を予想して俺に料理を教えていたのだろうか?彼女はよく仕事で出張したので、俺は自分で料理する機会が度々あった。俺が作る予定の料理を言っておくと彼女は出張に出かける前に材料を買っておいてくれた。そして必ず出発前の空港からメールが来た。「行ってきます。ちゃんと食べなだめよ」あぁ、千秋・・・今度の出張は長いな・・・。
 俺はきれい好きなほうだから、毎週末に全部の部屋を掃除した。彼女の仕事部屋はほとんど汚れなかった。誰もいないのだから当然だ。それでも一応、掃除した。彼女が帰って来た時にすぐに仕事ができるように。
 俺は何を考えているのだ!帰ってくるわけないだろう!くそ!あぁでも俺は彼女の死体は見ていない。洋上の航空機事故では全員の死体回収はまず無理だ。もしかすると助かったかもしれない・・・漂流しているところをどこか外国の船に助けられて・・・何度同じことを考えたろう?はかない希望か。もしそうなっているなら既に日本に連絡が来てニュースになっていることだろう。
 彼女は死んだのだ。俺はあきらめないといけないのだ。思い出を背負って残りの人生を消化しないといけないのだ。消化?そうだ。まさにこれは負けが決まったプロ野球の消化試合だ。優勝の望みは絶たれたのに試合はしないといけない。負けたからもういいだろうと残りをほっとくわけにはいかない。希望なきまま悲しさと虚しさを抱いてマウンドに立つか。悲劇的な展開だなと思った。
 俺は生物学的には生きていたが、精神的には死にかけていた。これは病気ではないので自分で治すしかなかった。自分で立ち直るしかなかった。俺は逆境には強いほうだとうぬぼれていた。どんなことでも乗り越えられると自負していた。だがこんな苦難が待っていようとは。こればっかりは難敵だ。頂上が見えない大きな大きな山だ。あぁこんな山を登れというのか?頂上まで三十年はかかりそうなこの山を、今から一歩一歩登って行けというのか?

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千の灯火(ともしび) 第18回

 千如寺の二天像が搬出される日の朝、俺と高尾と遠田は必要な機材を準備して車に積み込み、雷山へと向かった。
 千如寺の二天像、持国天立像と多聞天立像は桧の寄木造りで、多聞天の体内から見つかった銘文によると正応四年(一二九一年)に造られたとされていた。鎌倉時代後期の九州の造仏の歴史を研究する上で非常に貴重なものとされていた。
 熊本の美術館で開催される美術展に出展するためにこの二天像は、福岡市博物館での展示以来、五年ぶりに千如寺を留守にすることになった。運送会社の美術品専門スタッフや博物館の学芸員の人が早朝から集まり、北村住職と入念な打ち合わせを済ませた後、搬出作業に入った。俺たちはその作業を横で取材した。下手に手伝うとミスを誘発するので俺たちは一切二天像には触らなかった。ここは高尾の独壇場で、照明に気を使いながらいろんな角度から撮影していた。
「そっち持っとかんか!」「ゆっくり動かせ!ゆっくり!」運送会社のスタッフの怒号が飛び交い、堂内は緊張した空気が張り詰めていた。
俺はその作業の様子を少しメモにとったり、高尾を手伝って照明を調節するくらいで他にあまりすることがなかった。それは遠田も同じで、彼女はじっと作業を見つめていた。
 重傷のけが人のように全身を包帯でぐるぐる巻きにされた像をスタッフ四人で特製の担架に乗せた。そしてゆっくりと観音堂の外へと運び出した。無事にトラックに載せ終わるまで実に半日かかる作業だった。まだそれから会場へ運んで今度は設置作業が待っているが、とりあえずここで一息という安心感がスタッフの表情に見られた。
 「なんとか、搬出までは無事終わりました。ちょっと安心しました」
 トラックを見送った後、観音堂に戻って来た北村住職は額の汗をぬぐいながら言った。
 「一山越えた感じですね。会場での設置がまた一苦労ですね」
 ただ見ているしかできなかった負い目を感じつつ、住職の心労をねぎらう意味で俺が言うと住職は大きなため息をして、
 「そうですね。会場での設置には私は立ち会えないんで、後は任せるしかないですね。」
 と言った。
 「毎度のことですけど、うちにある仏像を何かに出展するために搬出する時は、小さい子どもを一人旅に出すみたいで、心配ですね。だから無事に帰って来た時には本当にほっとします」
 「そうでしょうね・・・」
 相槌を打つ俺の表情から少し明るさが引いたのを住職に気付かれなかったろうかと少し焦った。大事なものが自分のもとから離れて、そして無事に帰って来る。ただそれだけのことがなんと幸せなことか・・・。
 遠田は高尾を手伝って照明器具を片付けていた。俺は高尾に聞いてみた。
 「いいの撮れた?」
 「まぁ大丈夫やろう。今見た感じではよかったみたいや」
 撮影はデジタルカメラを使うので撮ったその場で出来がわかる。俺は「ちょっと見せて」とカメラを高尾に借りてモニターを見てみた。いい感じに撮れていた。
 「いいやん。バッチリや」
 「しかしここは光がとりにくいけん、苦労した」
 「照明強いの持って来て正解やったやん」
 「そうやね」
 俺たちが話している横を間須さんが通り過ぎようとして、照明のコードに足をひっかけて転ぶフリをした。
 「またそんな転ぶふりとかして」
 俺がからかうと間須さんは大げさに、「あぁびっくりした。転んで大怪我するところでした」と言った。
 「そんなんで転んで誰も大怪我なんかしませんよ」
 「どうも内田さんの近くに来るとろくなことがない・・・」
 横で遠田が笑っていた。
 「あれ?」
 ふと、高尾が耳をすませるようなしぐさをした。
 「どうしました?」
 間須さんも動きを止めて耳をすませた。
 「今、下のほうで住職の声がしましたよ。間須くーんって叫んでましたよ」
 「ほんとに?」
 間須さんは慌てて戻っていったが、その時によく磨かれた観音堂の縁側で滑って、本当に転びそうになったので、それを見て俺たち三人は笑い転げた。

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千の灯火(ともしび) 第19回

 二天像搬出から数日後、熊本の美術館で「九州の仏教芸術展」が開催された。例によって俺たち三人は取材に出かけた。初日だけは写真撮影OKということで、マスコミ関係者もかなり混じっていた。
 テープカットの際に、千如寺の北村住職も挨拶をした。そして熊本県知事をはじめ、数名の来賓の手によってテープカットされると、学芸員の説明が始まった。
 初日の開館前の時間に中を見れるのは関係者と来賓、そして俺たちマスコミだけ。しかも学芸員が直接説明してくれるのもこの時だけ。非常に貴重な機会なので俺は学芸員の説明を録音したいくらいだった。
 高尾は他のカメラマンとのポジション争いに忙しかった。限られた時間なのでひとつひとつ丁寧に撮っていくことはできない。これぞというのを選んで、すぐにポジションを決めて数枚づつ撮っていく。無駄口ひとつたたかないで走り回る高尾の真剣な姿は遠田には珍しく映ったようだった。
 俺はとにかくカタログを片手に学芸員の話のポイントを聞き漏らすまいと必死だった。展示品の番号を書いて、それに関するポイントだけをメモしていく。学芸員の人は何も見ないですらすらと説明した。大したもんだと思った。
 マナーをわきまえないで大声で話す輩もいて説明が聞こえない時もあったので、なるべく学芸員の近くにいるようにした。
一通り説明が終わって、ふと見ると隣にいたはずの遠田がいなかった。また戻って探してみると千如寺が出展した二天像の前で北村住職と話していた。
二天像は損傷もなく無事に設置されていた。千如寺で見るのとはまた違った感じがした。久しぶりに外に出て伸び伸びしているかのように、いつもより動きが明るく感じた。会場内には他にも持国天と多聞天の像が出展されていたが、比べてみるとかなり違うのが面白かった。時代や地方で作風が異なるらしい。職人の腕ももちろんあるだろう。作風の流行というものもあったらしい。当時でいう都会の京都・奈良と、遠く離れた田舎の九州とでは、流行の伝達も遅かったことだろう。
俺と遠田は先にロビーに出て高尾が戻るのを待った。十五分ほど遅れて、疲れた顔の高尾が会場から出てきた。
「やっと終わった・・・」
「お疲れさまです!」
遠田が高尾のカメラを受け取った。
「撮りたいものが多すぎ!どれもすごいけん。俺ここに一日おっても飽きんよ」
高尾はいい被写体に出会った時の満たされたカメラマンの表情になっていた。
「もうちょっと開館まで時間あるよ。まだ撮る?」
俺が言うと高尾は会場のほうを見て、「どうするかな・・・」とつぶやいていたが、すぐに、
「よし、もうちょっと撮ってくる。待っとって」
「いいよ。遠田とそのへん散歩してくる。三十分くらいしたらここに戻ってくるけん」
「よっしゃ。じゃ行ってくる」
高尾はまた遠田からカメラを受け取ると会場に戻って行った。
「じゃ、ちょっと外に行ってみるか」
と俺は遠田を連れて美術館の外に出た。心なしか遠田の表情が明るかった。俺たちは建物の横の通用口から表に出た。一面の芝生がまぶしかった。木陰を抜けてくる風が心地よかった。
「風は気持ちいいけど、日差しはまだ強いね」
「そうですね。この時期って意外と日焼けするんですよね」
「そう言うよね。この時期って運動会があるやんか。運動会の時って日焼けするもんね」
「内田さんの田舎も秋に運動会でした?」
「うん」
「私が行った小学校もそうでした。最近は春にするとこが多いですよね」
「そうやね」
芝生の感触がいいので思わず歩調がゆるくなった。遠田は木陰を選ぶように歩いていた。美術館のまわりは公園になっていたが、一面の芝生を囲むように木立が並んで、中央部分には木陰がなかった。俺たちは公園のふちをたどるように歩いた。
先を歩く遠田が時々振り返って微笑んだ。散歩が嬉しい様子だった。どうして女性は散歩が好きなのだろう?千秋もそうだった。よく二人で自宅の近くを散歩した。ただ話しをして歩くだけのこの行為に、女性は何かを得ているのであろう。
遠田の後姿を見て気付いた。彼女は少し髪を切っていた。

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千の灯火(ともしび) 第20回

 帰りの車の中で、高尾は後部座席で気持ち良さそうに眠っていた。一番活躍したから疲れはてた様子だった。遠田は助手席で何を見るともなしに窓外を眺めていた。
 俺は運転しながら美術展の様子をどんな記事にするか考えていたが、ふと思い出したように遠田が言った。
 「次の千如寺のイベントはなんですか?」
 「十月には大きなイベントはないよ。十一月になったら紅葉シーズンであの大楓が真っ赤になるけん、その頃に撮影に行くよ」
 「その次は?」
 「あとは、年末年始やね。大晦日の除夜の鐘から翌朝の初詣のようすまで取材するけど、これは俺だけでいいよ」
 「どうしてですか?」
 「みんな休みやけんたい」
 「内田さんは休まないんですか?」
 「俺はどうせ暇やし」
 「高尾さんは?」
 「高尾も休ませるよ。大した写真は必要ないけん、俺が自分で撮るよ」
 「大変ですね。お寺に泊まるんですか?」
 「いや、前原のビジネスホテルに泊まると思う。大晦日の除夜の鐘まで取材してから引揚げて、翌朝早くにまた戻ってくるつもり。ホテルには多分三時間くらいしかおらんかもね」
 「一人で大丈夫ですか?」
 「大丈夫、大丈夫」
 彼女はここで少し間を置いて、後部座席に眠っている高尾をちらっと見た後、改まった表情になって言った。
 「内田さん、ドライブはいつ連れてってくれるんですか?」
 「え?これじゃだめ?熊本往復ドライブ」
 「ダメですよ!これ仕事じゃないですか」
 頬を膨らませる彼女の表情はかわいかった。
 「冗談たい。えーと、そうやね、日曜しかないけど、俺いろいろ家事があるけんねぇ」
 「土曜日だけで終わらないんですか?」
 「いや、終わらんこともないけど・・・」
 「なんとかがんばって土曜日だけでいろいろ終わらせて下さい。今度の日曜日に行きましょうよ」
 助手席から迫るような勢いだった。もうここは観念しないとだめかなと俺もあきらめることにした。
 「わかったわかった。日曜はなんとか空けるようにするけん」
 「やった。絶対ですよ?」
 「うん」
 「ドタキャンは受け付けませんからね」
 「うん」
 彼女は両手のこぶしをぎゅっと握って小さなガッツポーズをつくった。その様子が旅行に連れて行ってもらうことが決まった子どもみたいでかわいかった。そして何かのノルマを達成したような満足した表情になった。
 しょうがない、一回連れて行けばそれで義理は果たすわけだから早く済ませてしまうほうがいいだろうと思った。
 太宰府インターから都市高速に入って、百道インターで下りた。遠田を自宅近くまで送り届けた。彼女は車を降りながら言った。
 「遠回りなのにすいません」
 「いいよ。どうせ高尾も送っていくし」
 「じゃ、約束忘れないで下さいね」
 「はいはい」
 彼女は満面の笑みでドアを閉めて手を振っていた。俺は車を高尾の自宅の方へ走らせた。遠田が車を降りる時の音で高尾は目を覚ましたようだった。
 「あ、もう着いた?」
 「よぉ寝とったね」
 「んーさすがに疲れたばい」
 「お疲れさん」
 伸びをしている体を急に止めて、高尾は後部座席から乗り出してきた。
 「お前、遠田とドライブすると?」
 「ありゃ、起きとったんか?」
 「いや、ちょうどその話の時だけ聞いとった。ドライブすると?」
 「せざるを得んね」
 「遠田は自分から誘いよったね。やっぱりね・・・」
 「なんがやっぱり?」
 「こないだ飲みに行った時もそうやったけど、あいつお前のこと好きよ。多分・・・っていうか間違いないと思う」
「どうかいな・・・」
 「俺のことは気にせんでいいけんな、俺はもう撤退したけん、お前、思う存分行け!」
 「今まだそんな気分になれんけん、一回ドライブするだけにしとく」
 「うわーもったいない・・・」
 高尾は大げさなしぐさでのけぞって後部座席に背をもたせかけた。
 そんな気分になれない?そんな気分てなんだろう?また人を好きになる気分?そんなのはもう想像すらできなかった。

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