えしぇ蔵小説集

福岡ESEグルメのえしぇ蔵の小説集です。それなりにがんばってるつもりです。

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千の灯火(ともしび) 第6回

 打ち合わせが終わった後、住職の案内で観音堂に上がった。渡り廊下状になった木の階段を登っていくと上から心字庭園と、さっきまでいた座敷が見えた。遠田は持参したデジタルカメラで何枚も写真を撮っていた。高尾がアングルのアドバイスをしていた。
 観音堂には一メートルくらいの壇があって、正面と両側に上り口がある。俺たちは正面に向かって右側のほうに案内された。そして五メートルはある大きな木戸の前に三人並んで正座した。住職はおもむろに大きな太鼓をたたき始める。するとお弟子さんが出てきてその大きな木戸を開ける。重厚に軋む音をたてて木戸が開くとあの千手千眼観世音菩薩が現れる。横を見るとかなり驚いている遠田の顔があった。思わず声を上げそうな様子だったが厳粛な雰囲気だったので我慢しているのがわかった。
 住職は短い御経を唱えた後、説明してくれた。遠田は真剣なまなざしで観音像を見上げていた。
 「本尊様です。十一面千手千眼観世音菩薩というのが正式な名称です。重要文化財に指定されています。高さは約四・六メートルあります。成務天皇四十八年、西暦で言うと一四八にインドの僧、清賀上人が一刀三礼して謹刻したと伝えられています。十一面というのは、頭をご覧頂くとわかりますが、小さい顔がたくさんありますね。それと千手というのは後にたくさん手のひらがついています。その手のひらをよく見るとそれぞれに眼がついています。それで千手千眼になります」
 「すごい・・・」
 遠田は言葉もない様子だった。
 「その両側にあるのが持国天の像と多聞天の像です。高さは約一・七メートル。この二天像は以前福岡市博物館で展覧会が開かれた際に解体修理が行われましたが、多聞天像の中から銘文が見つかり、正応四年、西暦一二九一年に作られたということがわかりました。それが見つかった時は大騒ぎでした。仏師さんから電話がありましてね。その頃はまだ私の父が存命で、先代の住職をしておりましたが大変喜びましてね」
 「二天像も文化財ですか?」
 ずっと住職の説明に聞き入っていた遠田だったが、好奇心にはちきれそうな表情で初めて質問した。
 「二天像は福岡県指定文化財です。これくらいの大きさだと運搬が可能なのでこの二つはあちこちの展覧会にちょくちょく登場しています。でも運び出すのは一苦労ですけどね。内田さんにもお手伝いして頂いたことがありましたね」
 遠田の視線は急に俺のほうに向いた。どうなんだ?という表情だった。
 「あの時は大変でしたね。運送会社も専門のスタッフが来ましたもんね」
 「どうやって運び出すんですか?」
 遠田は俺のほうを見て質問するから俺が答えた。
 「外せる部分は外して、全身に包帯みたいに布を巻いて担架で運び出すんよ」
 「なんか怪我人みたいですね」
 「病人より大事に運ばないけんとよ。ほんとにゆっくりゆっくりね。一日がかりの大仕事よ」
 住職は「じゃぁ裏にまわりましょうか」と俺たちを観音像の裏手に案内した。そこには高さ一メートルくらいの仏像が観音像の後方を守るようにずらりと並んでいた。
 「これが眷属二十八部衆です。二十八体並んでいます」
 「内田さん、二十八体全部名前言ってみて下さい」
 「言えんよ」
 「嘘ばっかり」
 遠田は子どものような表情で言った。彼女は今初めて俺に馴れ馴れしいセリフを言ったなと思った。
 観音像の裏手からまた別の通路があって、更に上の御堂へ続いていた。そこにはこの寺の開祖、清賀上人の像があった。御堂はかなり高い位置にあるのでここからの見晴らしもよかった。
 「これが清賀上人の像です」
 「日本人じゃなかったんですか?」
 「そうです。インドからはるばる来られたというふうに伝えられています」
 「当時は命がけの旅でしょうね」
 「そうでしょうね。どういうルートをたどって来られたのかわかりませんけど、おそらく何年もかかったんじゃないでしょうかね」
 住職と遠田の会話が続く間、俺と高尾は付き人みたいな状態だった。遠田がこうやって興味を持ってくれることは仕事にもプラスになるからいいことではあるが、俺にとっては知っていることばかりなので少し退屈した。
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