えしぇ蔵小説集

福岡ESEグルメのえしぇ蔵の小説集です。それなりにがんばってるつもりです。

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千の灯火(ともしび) 第45回

 遠田を新宮駅まで迎えに行き、家に戻ってから狭いキッチンをシェアして俺がラグーソースのパスタを、遠田がオリジナルドレッシングのサラダを作った。
 「すごいですね、内田さん。ラグーソースとかも作るんですね」
 「基本的にパスタが好きだからいろんなパスタに挑戦したんよ。でもうまく作れたのは少ないんよ。これとペペロンチーノとカルボナーラぐらいかな。ポモドーロとか、トマトソース系があんまりおいしく作れんと」
 俺は物置からキャンティを出してきて栓を抜くとテーブルの上に置いた。それを見た遠田が言った。
 「うわー、そんないいワイン開けていいんですか?」
 「うん。独りの時に開けるの、もったいないけん。そのバゲットを薄く切ってオーブンであたためてくれる?」
 「はーい」
 軽やかな身のこなしから、彼女が上機嫌であることがわかった。
 「バゲット焼けたら食べよう」
 「はーい」
 我が家のテーブルに二人分の食事が用意されたのはかなり久しぶりだった。千秋のことがあってしばらくは家族や親戚が次々に泊まりに来て、俺を独りにしないようにしてくれていたけど、それよりも独りのほうがまだ精神的負担がないことを言ってからみんな気を使ってくれて、電話はしても泊まりには来なくなった。それ以来、自宅での食事はいつも独りだった。
 「焼けましたよ。食べましょう」
 「うん」
 ささやかながらテーブルに並んだ二人分の食事を見た時、俺は時間が戻ったような気がした。向かいに座っているのが千秋のような気がしたが、そんな幻覚を俺はすぐに振り払って遠田と乾杯した。
 「内田さん、おいしいですよ。ソースがよくパスタにからんでます。このパスタはどこのですか?」
 「バリラだよ」
 「あーやっぱり。おいしいですもんね」
 「遠田はパスタ好き?」
 「大好きです」
 「特に好きなパスタある?」
 「そうですねぇ・・・どれも好きですけど、一番よく食べるのはシンプルなペペロンチーノですかね」
 「そうか。それなら得意や。この次はペペロンチーノを作ってやろう」
 食べている手を止めて遠田が俺の顔を見た。
 「・・・この次があるんですか?」
 「なんで?もう来たくない?」
 「来ます!」
 そしてまた食べ始めたが、パスタで膨れた口のまま俺のほうを見て、「ふふ」と笑った。おそらくその一瞬の遠田の笑顔は俺が今まで見た中で最高にかわいかった。
 「連休明けたら御経会やね」
 俺は彼女を帰したくなくなるといけないと思い、話題を仕事にもっていった。
 「はい。千如寺さんの行事のイベントもあと二つですね」
 「そうやね。御経会と千日観音で終了や。でも千日観音は八月やけん、もうちょい頑張らんといけんね」
 「御経会ってあの御経をぱらぱらーってめくるやつですよね?」
 「そうそう。こないだ去年の写真を見せたろ?」
 「はい」
 「観音堂に和尚さんたちがずらーっと並んでね。太鼓と念仏にあわせて御経をぱらぱらーっとめくるんよ」
 「躍動感がある写真が撮れそうですね」
 「うん。高尾は腕の見せ所やね。あの行事をどういうふうにフィルムに収めるか楽しみや」
 食事の後、DVDを見たりしてゆっくり過ごした。
 遠田は九時の電車で帰った。駅での別れ際の寂しげな表情には名残惜しさがあったようだったが、俺は慌てる必要はないと思った。徐々に自分を変えていこう。新しくしていこうと思った。

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千の灯火(ともしび) 第44回

 ゴールデンウィークに入り、世間がリラックスムードになったが、俺は何の予定も入れていなかった。以前のように遠田も積極的に誘ってこなくなったし、福田さんからの電話やメールも俺がのらりくらりとかわしているうちに来なくなった。
 俺はこの機会に思い切って家中の千秋のものを片付けた。捨てることはできないのでなるべく目につかないところにしまいこんだ。居間の本棚やテレビの上にある写真だけはそのままにしておいた。だいぶ精神的に落ち着きを取り戻したとはいえ、箪笥の中の彼女の服を取り出す時だけはどうしても涙が流れた。彼女の服の感触が彼女の肌のそれのようで思わず頬をうずめてしまった。そしてわずかに残る匂いをかいでしばらく嗚咽した。
 服の整理が終わると涙を拭いて気を取り直し、家中を掃除した。全開にした窓から入る風がカレンダーを揺らした。外は快晴だった。その爽やかさがもったいないような気がしたので掃除が終わったら近くを散歩でもしようかと思ったところで携帯が鳴った。見てみると遠田からだった。俺はそのまま携帯が鳴るのをじっと眺めていた。しばらくすると呼び出し音は途絶えた。俺は携帯をそのままにして散歩に出かけた。
 近くにある公園までは歩いて十分くらいだった。そこまではよく千秋と歩いた道だった。走ると汗ばむくらいの陽気の中を独り病み上がりの病人のようにゆっくりと歩いた。風に揺れる葉桜の緑が美しかった。
 公園のベンチは陽にあたためられていた。座った時に背中にぬくもりを感じた。それが徐々に全身に伝わり、俺は目を閉じて暖かい季節の恵みを感じた。
 これから先どうしよう?どうやって生きていこう?それを考えるとまだはっきりしたものはつかめそうになかった。だが自分でも支えてくれる誰かが必要であることは感じていた。過去の整理は独りでしたかったが、未来の構築は独りでは無理だということが徐々にわかり始めていた。
 目を開くと公園で遊ぶ親子の姿が見えた。長く生きてきて未だに家族というものを形作ることができない自分がひどく情けない人間に思えた。おぼつかない足取りで歩く子どもの手をひく親の姿を見ていると、迷った山中でかすかな道を見つけたような気がした。俺は立ち上がると、急いで家に戻った。
 携帯を見てみると俺が出かけた後ももう一度遠田は電話していた。俺はすぐにリダイヤルした。
 「もしもし?」
「内田です。電話したろ?ごめんね」
 「あ、いえ、お休みのところすいません」
 「どうしたと?」
 「いえ、べつにこれといって用はないんですけど、連休中どうしてあるかなと思って・・・」
 「今日は家中の掃除をしたよ。終わってから今散歩に行って来たところ」
 「そうですか」
 「遠田は何しようと?実家に帰ったと?」
 「いいえ。家でぼーっとしてます」
 「そうか。じゃあうちに遊びに来るか?」
 「え?」
 「俺がなんか料理作って食べさせちゃるよ。どう?」
 「いいんですか?」
 「いいよ。無理ならいいけど」
 「無理じゃないです、無理じゃないです。じゃぁ本当に行っていいんですね?」
 「どうぞどうぞ」
 「すぐ行きます!」
 「博多駅出る時にメールして」
 「わかりました!」
 遠田の声は久しぶりに明るかった。その声で俺も元気を貰えるような気がした。
 「何作ってくれるんですか?何か買っていくものないですか?」
 「パスタでも作るか。ワインもバゲットもあるし、特に何もいらんよ」
 「じゃぁ私が何かサラダ作ります。少し野菜買って行きますね。バルサミコソースとかあります?」
 「あるよ。なんで?ドレッシング作ると?」
 「はい。私の得意のドレッシングがあるんです。それ作ります」
 「いいねぇ。楽しみや」
 「じゃぁ今から出ます」
 「了解。後でね」
 俺が電話を切ろうとした時、遠田が慌てて言い足した。
 「あ、それと・・・」
 「ん?何?」
 「あの・・・よかったです」
 「何が?」
 「内田さんが元気になって」
 「え?どういうこと?」
 「いえ、いいんです。ただよかったと思っただけです。それじゃ」
 電話は切れた。よかった?確かによかったかもしれない。そう信じたいと思った。

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千の灯火(ともしび) 第43回

 仕事が忙しいということにして福田さんからの催促を逃れつつ時は過ぎて四月になり、雷山の桜が咲き始めた。
 遠田もあれ以来、根堀葉堀聞くことはなくなったので俺も少し精神的に落ち着いてきた。
思い出にも浸らず、遠田や福田さんのことも考えずに目の前の仕事に夢中で取り組んでいるうちに、荒れていた心もだいぶ凪いできた。
 今回のプロジェクトも「歴史」と「文化財」の章は完成した。「行事」と「自然」は一年間経過しないと全て取材できないので完成は夏になる予定で、その後にまとめを書くので全てを完成させるまでにはあと半年はかかりそうだったが、これといって問題もなく、予定通りにいきそうな感触をつかんでいた。
 四月の第二週目に千如寺の境内の桜が満開になったので、また高尾と遠田と三人で取材に出かけた。高尾が桜を撮影している間に、俺と遠田は北村住職と五月の行事「御経会」の取材の打ち合わせをした。
 心字庭園が見える座敷で大きな座卓の向こうに座った住職はいつもと変わらぬ温和な笑顔を浮かべていた。
 「今年もいつもと同じような内容でやります。去年は雨だったんで観音堂の中で護摩を焚きましたけど、今年は晴れてほしいですね」
 「晴れたら護摩道場でしますか?」
 「ええ。やっぱり外でやらないと、参詣してくれた方に申し訳ないような気がしてですね」
 「じゃぁだいたい十時くらいから観音堂で始めて、十一時くらいから護摩道場に移動ですね?」
 「だいたいそんな感じになると思います。私らは着替えるので観音堂が終わってから一旦、引っ込みます」
 「わかりました。堂内での撮影は大丈夫ですか?」
 「大丈夫です。フラッシュもたいて構いません。また今年もいい写真をよろしくお願いします。来年のチラシにも使わせて頂きたいので」
 「高尾によく言っておきます」
 俺は横で黙々とメモをとっていた遠田に、「高尾の様子を見て来て」と言って彼女を追い払った。足音が遠ざかるのを確認して、俺は住職に言った。
 「和尚さん、あれから一年と・・・八ヶ月たちました。最近ようやく少し精神的に落ち着いてきたような感じがします」
 「そうですか!それを聞いて私も本当に嬉しいです。あぁそうですか、そうですか」
 住職は自分のことのように喜んでくれた。
 「よく頑張りましたね、耐えましたね、本当によく・・・」
 「ありがとうございます」
 「残されたものが余生を全うするのは義務です。強く生き抜くことが、先に逝った人たちへ感謝の気持ちを表すことにもなります。そしてあなたの周りにはあなたを必要とする人たちがいます。その人たちのためにもあなたは元気になる義務があるんですよ」
 「そうですね・・・」
 「新しい一歩が必要とされていたんです。いやぁよかった。今の話ではその一歩が踏み出されたようですね」
 「まだ確信にはなってないですけど、新しい人生を受け入れるスペースが少し心の中にできたような気がします」
 「そうですか、そうですか、あぁよかった・・・本当に・・・」
 ここで遠田と高尾が戻って来たので話を切り上げて千如寺を後にした。見送る住職の嬉しそうな笑顔が俺の背中を押してくれているような気がした。

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千の灯火(ともしび) 第42回

 二月の静かな朝、俺と遠田と高尾は千如寺の観音堂にいた。観音像のあるところから一段下がった広めの畳の間にスクリーンと照明を置いて、高尾と遠田は撮影の準備に余念がなかった。俺は観音像の裏に並べてある眷属二十八部衆の仏像を一つ一つ点検していた。まだ朝早い時間だったので参詣の人はなく、俺たちの作業する音だけが堂内に響いていた。
 「内田、どれから撮る?」
 「右からいこう。密迹金剛から」
 「一人で運べるか?」
 俺は仏像をちょっと抱えてみた。
 「まぁ大丈夫。結構重いけど」
 「私、手伝いましょうか?」
 遠田が言ってくれたけど、逆に二人の呼吸が合わないと大変なことになるので俺は「いや、大丈夫」と断った。
 「じゃぁ持って来ていいよ」
 俺は最初の仏像「密迹金剛」を運んでカメラの前に置いた。
 「遠田、悪いけど他の仏像のほこりを拭いてくれんかいな?」
 「わかりました」
 高尾の指示で遠田は布を持って仏像を一つ一つ磨き始めた。
 高尾が撮影している間、俺は次の仏像を運ぼうとしたところで遠田に質問された。
 「内田さん、眷属二十八部衆ってどういう仏様なんですか?」
 「千手観音のお経を誦持する者を守るらしいけど俺もよくはわからん」
 「なんで二十八なんですか?」
 「それぞれ守る方角があるんよ。東西南北と上下に四部づつ、それに北東・東南・北西・西南に一部づつで二十八らしいよ」
 「ほんとに内田さんてそういうの詳しいですよね」
 「いや、これは記事にしようと思って何日か前に調べなおしたんよ」
 そこで高尾が次を持ってくるように言ったので俺は二番目の「那羅延堅固」を運んで、最初の「密迹金剛」を元の位置に戻したところでまた遠田が「内田さん・・・」と話しかけてきた。「ほんとはあんまり詳しくないんよ」と言いながら遠田のほうを見ると、作業する手を止めて俺のほうを見ていた。
 「こないだの会議の時の電話、福田さんでしょ?」
 「・・・」
 「そうでしょ?」
 「うん・・・」
 「私の看病で約束破ったこと怒ってました?」
 少し離れた所にいる高尾に聞こえないようにするためか、彼女はささやくような声で話していた。
 「いや、怒ってはなかったよ」
 「怒ってはないけど、埋め合わせするように言われたんでしょ?」
 「・・・言われた」
 こういう場合の女性の勘の鋭さは天性の才能なのではないかとその時はつくづく思った。
 「埋め合わせするんですか?」
 「まだ返事はしてない」
 「するんでしょ?埋め合わせ。内田さんは優しいから・・・」
 俺はそれには返事をせずに次の「東方天」を運んだ。そしてまた戻ってくると同じ話題になりそうだったので、彼女の先を制して「後で話そう」と言ってその話題を打ち切った。
 一時間弱で二十八体を全て撮影した。高尾も疲れていたが、二十八体運んだ俺もかなり疲れた。堂内には参詣客の姿が見えるようになってきていた。俺たちは機材を片付けて外に出た。暖かい堂内から身を切るような山の冷気にさらされたので身体がすくんだ。
 俺は遠田にさっきの話題を蒸し返されたくなかったのでなるべく高尾から離れないように歩いた。無言でついて来る遠田の表情にはあきらかに不満の色があった。
 会社に戻ってからも忙しいふりをして彼女に隙を与えなかった。定時になって退社する時も彼女と目を合わせないようにして外に出た。どうしてこんな逃げるような真似をしなければいけないのだろう?そう思うとどう対処していいかわからない怒りのようなものがこみあげてきた。去年の八月以来、混乱した精神状態を落ち着けるのに苦労してきたというのに、遠田と福田さんの存在が余計に俺の中の安静を奪っていくような気がした。とにかくそっとしておいて欲しい、ただそれだけが切実な願いだった。自宅に帰り着いた頃に遠田からメールが来た。さっきの話題の蒸し返しだった。胸の中にあった怒りをあおられたような形になったので俺はすぐに「いい加減にしてくれ!俺を追い詰めないでくれ!」と返信した。その後すぐには返事が来なかったので、言い過ぎたかなと思っていたら三十分後くらいに一言「ごめんなさい」とだけ書かれたメールが来た。

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千の灯火(ともしび) 第41回

 翌日から遠田は出勤した。まだ身体が重そうな感じはあったが、顔色はよくなっていた。
 あの日以来、福田さんからはメールも電話も来なくなった。土壇場であんなふうにキャンセルしたのだから怒って当然だろう。もう連絡は来ないだろうと思った。そうなるのも縁だからしょうがない。しばらく待って本当に音沙汰なくなったら瀬戸山課長にお詫びをしておいたほうがいいかなと思った。
 俺は打ち合わせをするために遠田と高尾を会議室に呼んだ。
 「二月は千如寺の眷属二十八部衆を全部撮影するよ」
 高尾はコーヒーを飲みながら聞いていた。遠田はノートを開いてペンを持った様子が真剣に見えた。
 「それで、どこで撮ったがいいかいね?高尾はどうしたら撮りやすい?」
 「観音堂の下の段のところが広いけん、あそこに運んで撮るか」
 「よっしゃ。スクリーンも持って行かないけんね。軍手も忘れんようにせんと。じゃあいつ撮りに行く?」
 「一番人が少ない時がいいけん、平日の午前中かな」
 「了解。住職に電話してみる」
 遠田は無言でメモをとっていた。高尾が心配そうに声をかけた。
 「風邪治った?大丈夫?」
 「はい。もう大丈夫です。すいませんでした」
 俺も何か彼女に声をかけたかったが、前日のことがあったのでそれもどこか白々しい感じがしてためらわれた。俺は場の雰囲気を仕事に戻した。
 「観音堂の下のところて、観音像に向かって右側やろ?」
 「そうそう。いつも住職が昔の雷山房のかけじくの説明をするところ」
 「はいはい。あそこにスクリーンを置いて、照明を置いてっちゅう感じやね?」
 「そうそう。そこに内田と遠田が一個ずつ運んでくると」
 「あれって多分、結構重いよね?」
 「どうやろ?慎重に運ばないけんよ。傷でもつけたら大変や」
 「ゴムがついた軍手のほうがいいかいな?普通の軍手じゃ滑るよね?」
 「うん。それがよかろうね。それと・・」
 高尾が何か話を続けようとした瞬間に、俺の携帯が鳴った。高尾は出ていいよという仕草をした。液晶を見てみると福田さんだった。まずいタイミングだった。遠田は俺が液晶を見てためらったことから誰からの電話かを察した様子で俺のほうを見ていた。前回の電話も出なかったし、あんなキャンセルの仕方をしたことを謝る必要があるのにここでまた電話に出ないというのは失礼にもほどがあると思ったので、俺はためらいつつも、「ちょっとごめん」と会議室を出て電話をとった。
 「もしもし?内田さん?」
 「はい・・・昨日はすいませんでした」
 「いえ、よかです。忙しかとでしょ?」
 「すいません・・・コンサートどうでした?」
 「私も会場には入らんかったとです。一人で聞いてもおもしろなかですけん」
 「チケットが無駄になりましたね。ほんとにすいません」
 「あれは貰ったもんやけん、気にせんどって下さい。ベルリンフィルとかやったら一人でも聞いたかもしれんですけど。あははは」
 電話口の彼女の笑い声はどこか寂しさが混じっていた。
 「内田さん、反省しとるですか?」
 「はい・・・反省してます」
 「じゃぁ、埋め合わせばしてもらわんといけんですね」
 当然の要求だが、その埋め合わせをすることによってまた彼女と過ごす時間を増やすことに不安を感じないわけにはいかなかった。いっそキャンセルされたことを怒って連絡が途絶えてくれたほうがよかったのではないかと思った。
 会議室に二人を待たせているのが気になったので電話が長くならないように話をまとめようと思った。
 「何か・・・埋め合わせする方法を考えます」
 「ほんとに?」
 「はい。今はちょっと会議中なんで後でまた連絡しますね」
 「あ、すいません、じゃ後で」
 「はい」
 電話を切って会議室に戻った。遠田の視線をまともに受けられない自分が情けなかった。
何事もなかったかのように俺は打ち合わせを進めた。

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千の灯火(ともしび) 第40回

 遠田の全身は震えていた。俺はあの日、空港で見た大きな悲しみの塊が、今またここに現れたのを感じた。あの息がつまりそうなつらさが、またじわじわと湧き上がってきた。
 俺は遠田の言葉を頭のどこにしまうか迷った。どう処理すべきかわからなかった。まともに扱えば俺は発狂しそうだった。神は俺から千秋を奪い、そして今、遠田を与えようというのか?なぜそんな必要があるのか?なぜ千秋ではだめだったのか?千秋には死を、遠田には生を与えた神の意図が全く理解できなかったし、理解したくないという激しい反発もあった。その憤りが表情に出て、俺は怒りを含んだような表情で黙り込んだ。
 「これを言うと嫌われると思ってずっと黙ってました・・・」
「・・・・・・」
「・・・何か言って下さい」
「そういうことやったんやな・・・」
俺は何か言葉を発しているのはわかったが、自分で何を言っているかはっきり認識はしていなかった。俺の頭は目まぐるしく回転してことの処理を急いでいたが、一向に出口を発見できずに混乱していた。
「ああ・・・」
遠田が急に両手で顔を覆った。言ったことをひどく後悔している様子だった。だがその時の俺には彼女をなぐさめる余裕もなかった。そしてふらふらと立ち上がると、寝室から出て居間のカウチにへたりこんだ。
 一年半、この一年半の間に徐々に抑えてきた俺の心の中のほこりは今一斉に浮き上がって舞い狂った。全ての努力が無駄になったような気がした。
寝室から彼女の泣く声が聞こえた。俺も泣きたかったが不思議と涙は一滴も出なかった。陽は完全に落ちて部屋の中は間接照明だけの薄暗さになった。
思考がまとまらないまま俺はゆっくりと立ち上がった。そして寝室に戻って泣いている遠田を眺めた。まず何を言うべきか言葉を探した。俺の気配を察して遠田が顔をあげた。
「なんで泣くと?言ったことを後悔して泣くと?」
「・・・」
「もしそうなら後悔する必要はないよ・・・ただちょっと、混乱してるけど、いづれはわかることやし・・・」
俺はお粥が半分ほど残っている茶碗に気付いた。
「お粥・・・食べて」
遠田は涙を拭いて、「はい」と小さく答えた。
「今は遠田が元気になることが最優先やけん」
「・・・ありがとうございます」
「深刻な話はあとまわしや」
そう言いながらも頭の中はまだ事実の承認作業に必死だった。
遠田はまたゆっくり食べ始めた。その様子を俺はただ呆然と眺めていた。時々遠田は顔を上げて俺の様子を見た。
「すいません・・・」
「いいって。もうその話は終わり。早くよくなって明日からまた一緒に仕事しよう」
「はい・・・」
「明日は二月の撮影の打ち合わせを・・・するけん・・・」
「はい」
「・・・みかんも食べろよ」
「はい」
 言葉が舌の上を滑っていった。

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千の灯火(ともしび) 第39回

 翌日も遠田は休んだ。その時はあまり気にも留めなかったが、その次の日も休んだ時にはインフルエンザかな?と思った。高尾も同じことを考えたらしく、会社で不安そうに話していた。
 「遠田はインフルエンザやないか?」
 俺は記事を書いていたが、その手を止めて答えた。
 「そうかもしれん。もう三日やし」
 「やっぱあの雪の日にはしゃぎすぎたのがいけんかったかな?」
 「どうかいな・・・」
 「あいつ一人暮らしやろ?お前見舞いに行ってやれよ」
 「うん・・・ちょっと様子見てくるかな」
 「お前、料理できるやろう?なんか作ってやったら?お粥とか」
 高尾にそう言われて、どうするか迷っていた俺も決心がついた。仕事帰りに遠田のアパートに寄ってみることにした。
 夕方、冬の陽がもう隠れてしまった頃に遠田のマンションを訪ねた。一応先に携帯で見舞いに行くことを言っておいたので、呼び鈴を押すと彼女はすぐにドアを開けた。
 「どうぞ・・・」
 さすがにやつれた表情をしていた。俺が来るからか、パジャマではなかった。だが化粧しない顔に生気は薄れていた。
 「大丈夫か?」
 部屋に入りながら俺は訊いた。
 「はい・・・明日には会社に行けると思います」
 「インフルエンザやないと?」
 「いいえ、そこまではいってないみたいです。病院にも行きました」
 「そうか」
 それを聞いて俺はちょっと安心した。部屋のどこに座るか見廻していると彼女が、「どうぞ、好きなところに掛けて下さい。狭い部屋ですけど」と言ったので、俺はモダンなデザインのカウチに腰掛けた。彼女は何かを用意するつもりか、キッチンのほうに行きかけたので、「何もいらんよ、寝ときなさい」と言ったら彼女も身体が重いのか、ゆっくりと向きをかえて「すいません」と言いながら隣の部屋のベッドに戻った。
 「まだきつそうやね?」
 「少しですね・・・」
 「ちゃんと食べよるか?」
 「お昼にヨーグルト食べました」
 「だめやんか、それだけじゃ。俺がなんか作るけん食べりぃ」
 つらそうにベッドに横になっていた彼女は声だけ元気に「ほんとですか?」と言った。
 「うん。作っちゃるけん、食べなよ」
 「はい・・・食欲ないけど内田さんが作ってくれるなら頑張って食べます」
 「そうそう。じゃちょっと待っとけよ」
 俺はキッチンに移動して準備を始めた。
 「お米はどこにある?」
 「流し台の下です」
 「野菜は?なんかある?」
 「冷蔵庫の野菜室に大根とかあると思います」
 「あ、あったあった」
 「何作ってくれるんですか?」
 「大したもんは作れんよ。寝ながら待っときぃ」
 「はーい」
 身体はきつそうな感じだったが、声はどこかうきうきしているようで、いつもの陽気な遠田の復活の兆しが少し見えた。
 しばらくして、俺はお粥とふろふき大根をお盆に載せて彼女のベッドのところまで運んだ。
 「うわー!おいしそー!」
 「ふろふき大根は食べやすいようにかなり柔らかくしたけん、なるべく全部食べり」
 「はい」
 「あ、梅干忘れた。ある?」
 「冷蔵庫にあります」
 「取ってくる」
 俺がキッチンに戻って梅干を取ってくる間に遠田は既にお粥を食べ始めていた。
 「すごいおいしいです。ありがとうございます」
 「そうか?よかった。塩持って来るか?」
 「いえ、ちょうどいいです。料理上手なんですね」
 「もう一人暮らし一年半やし。もともと料理も好きやったけんね」
 「大根もやわらかくておいしいです。味がよくしみてますね」
 「うん。それは俺もうまくいったと思った。多分今までで一番うまくいった」
 俺が笑いながら言うと、彼女は心から嬉しそうな笑顔を返した。無邪気さを含んだ、いつもの遠田の笑顔だった。
 「いっぱい食べて寝らないけんよ。風邪薬とか飲むなよ。みかん買ってきたけん、後で食べりぃ」
 「はい」
 ベッドでおいしそうにお粥を食べる姿を見ていた俺の携帯が鳴った。誰だろうと見てみると“福田さん”と液晶に表示されていた。そこで俺は大変な失敗をしたことに気付いた。
 「今日何曜日?」
 「金曜です」
 「今何時かいな?」
 「六時です。電話、出ないんですか?」
 俺は電話に出るべきか迷った。福田さんとの約束をすっかり忘れていた。今頃アクロスの一階で待っていることだろう。どうする?今すぐ行けば少しの遅刻ですむだろう。行くべきか?携帯は鳴り続けたが俺が出ないので遠田は不思議そうに見ていた。躊躇している間に呼び出し音は途絶えた。
 「電話よかったんですか?」
 「うん。大丈夫」
 遠田はふろふき大根を箸で細かくくだいていたが、内心では俺の動向を気にしているのがわかった。彼女の伏せた目がどこか寂しげだった。俺は緩慢な彼女の箸の動きを見ているうちに心を決めた。そして、「ごめん、ちょっとメールするね」と言って急いで福田さんにメールした。
 “すいません、急用で行けなくなりました。チケット代は後でお支払いします。ほんとにごめんなさい”
 送信した後、顔を上げると遠田がじっと俺を見ていた。彼女は誰からの電話だったか、そして俺が誰にメールしたか全てわかっている様子だった。
 「内田さん、なんか約束があったんでしょ?私大丈夫ですから行っていいですよ」
 「いや、大丈夫。おかゆおかわりするか?」
 「・・・」
 「もうちょっと残ってるよ。大根は?いらん?」
 「・・・いいんですか?行かなくて」
 話題を変えようとしても無駄なことがわかったので、俺は遠田の顔を正面から見て言った。
 「病に苦しむ後輩を見捨てていけるか。気にせんでいいって。みかんとって来るね」
 俺が立ち上がりかけると遠田は追い縋るように慌てて言った。
 「内田さん、私が病人だから見捨てられないっていう意味なら行って下さい。多分、私じゃなくても同じように言うでしょ?それなら私は行って欲しいです。そういう同情ならむしろ私は・・・」
 「・・・・・・」
 「・・・つらいです・・・」
 「・・・・・・」
 遠田の握った箸の先がふるえていた。
 「・・・俺が・・・俺がここに残るっていうのは、そういう意味じゃないよ・・・」
 彼女は俺の言葉の続きを固唾を呑んで待っていた。
 「もし・・・他の人だったらもう帰ったと思うよ」
 俺はそれだけ言うとさっと立ち上がってキッチンに行った。そして買ってきたみかんをいくつか持って寝室に戻ったら彼女はさっきの姿勢のままほんのわずかも動いていなかった。そしてまだ俺の次の言葉を待っていた。
 「ただね・・・俺にもう少し時間を与えて欲しいんよ」
 「どれくらいですか?」
 「どれくらいかはわからん。来週かもしれんし、五年後かもしれん・・・それは俺次第やけど」
 「待ってれば・・・待ってればどうなりますか?」
 そこで俺の携帯がポケットの中で振動した。福田さんからのメールだろうと思ったが、遠田に悟られないように俺はそれを無視した。
 俺が返す言葉に迷っているのを見かねた遠田は、詰め寄る自分の態度に気付いて、
「すいません・・・なんか、自分のことばっかり言って」
と言った。そして二人の間にしばらく沈黙が続いた。どちらも自分の中で次の言葉を懸命に探していた。俺は彼女の枕元の電気をつけた。
「内田さん、私がなんで前の仕事辞めたか、本当の理由を言いましょうか」
俺は彼女が話題を変えた理由が、なにか重大なものである予感がしたので先を促すのを躊躇した。彼女はそんな俺に構わず先を続けた。
「これ・・・いつか絶対内田さんに聞いてもらいたかったんです。今、いい機会なんで言ってしまいます。私はあるフライトの時に急に体調を崩して、友達に代わって貰ったんです」
「・・・・・・」
「その便が、東シナ海で消息を絶ちました。乗員乗客全員死亡と断定されました。本当なら私が死ぬはずだったんです。友達は私の代わりに死んだんです。そのことが私には立ち直れない衝撃で、運命の恐ろしさを目の前にたたきつけられました」
「・・・・・・」
「それからはもう・・・怖くてとても乗れなくなって・・・次は私だ、本来なら私の番だったんだから、絶対に次は私だって・・・そして死ぬ予定ではなかった友達を死なせた罪悪感が覆いかぶさってきて、実際に体調もすぐれず、退職届けを出したんです・・・」
「・・・・・・」
「・・・これから私が何を言いたいかわかりますよね?」
「・・・・・・」
「わかりますよね?・・・そうです。奥様が乗られてた便です。あれで私も死ぬ予定だったんです・・・」

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千の灯火(ともしび) 第38回

 雪の取材の翌日、俺は会社で千如寺の文化財に関する記事を自分のデスクで書いていた。高尾は現像室にこもりっきりになっていた。外は平地でもちらほらと雪が見えるような寒さだった。道路が凍結しているところもあるようで、渋滞している様子だった。
 その日、遠田は休んでいた。瀬戸山課長に聞くと風邪をひいたらしかった。どうもあの千如寺での大文字騒ぎがまずかったのかもしれない。まぁ大したことはないだろうと俺はあまり深く考えずに仕事に没頭していた。
 ずっとパソコンの画面を見ていたので目が疲れて、少し休憩しようと思った時にちょうど携帯電話にメールが届いた。遠田が自宅から送ったのかもしれないと思って見てみると福田さんだった。
 “お疲れ様です。寒いですね。風邪ひいてませんか?”
 メールは標準語なんだなと思いながら俺は返事を送った。
 “ほんと寒いですね。私は大丈夫です。どうされました?”
 “内田さんはクラシック聞きますか?”
 “大好きですよ。”
 “よかった。九州交響楽団の定期演奏会のチケットがあるんですけど、一緒に行きませんか?”
 “いつですか?”
 “今週金曜日の夜です。アクロスのシンフォニーホールで。十八時開場です”
 “いいですね。行きましょう。ありがとうございます。”
 “じゃぁ十八時にアクロスの一階でお待ちしています”
 “了解です。”
 クラシックコンサートは千秋も好きだったので二人でよく行ったものだったが、あの日以来一度も行ってない。これも俺の人生の喜びの灯火の一つだったのかもしれない。小さい小さい火かもしれないが、こうやって一つづつまた灯していかなければならないんだろうなとは自分でもわかってはいたが、自分から行動を起こす気にはなかなかなれなかったのでこれはいい機会かもしれないと思った。
 福田さんの好意を俺はどう受け止めるべきか、自分の中でまだ結論は出ていなかった。いや、結論を出そうと考えることすらも避けていた。そんな心境になれない自分をどう扱っていいかがわからない。いや、こうも考えられた。彼女は誰もが認める魅力的な女性だったが、俺は彼女を得るために行動を起こそうとはしなかった。ただ、優れた美術品を見るかのように彼女の美貌と人間性には感嘆したが、心までは動かなかった。これは要するに彼女は自分にとって友人の域を出ない人なのではないかと。

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千の灯火(ともしび) 第37回

 一月も中旬になり、千如寺に雪が降った。北村住職からその知らせを受けると、俺と高尾と遠田は取材の準備をして雷山へ向かった。雪の千如寺は今回の企画の中の“季節編”では欠かせないネタだった。標高も高いので平地では少ない雪でもここに来れば雪国のように全てが真っ白になる。その様子を是非ともカメラにおさめないといけなかった。
 俺たちは車で雷山のふもとまで行った。そこから北村住職に電話すると、スタッドレスタイヤをはいた四輪駆動車で住職が迎えに来てくれた。凍結した急な斜面はとても普通の車は上がれない。だから雷山に雪が降った日にはほとんど参詣する人はいないので取材にも好都合だった。
 千如寺の長く続く塀の前の道は、住職の車の轍以外はそこを道であることを示すものが何もなかった。水気の多い真っ白な雪があたり一面に重たくかぶさっていた。
 車を降りて山門の前まで来ると、俺たちは中に入る前にそこから境内を撮影することにした。まだ一つとして足跡のない状態を撮っておきたかったからだ。くるぶしの上くらいまでの雪が千如寺の全てを覆っていた。三門から見える大楓、牧、銀杏はシルエットだけになっていた。
 「・・・きれいですねぇ・・・」
 遠田は感動で言葉もあまり出ない様子だった。白い息をはきながら白い世界に見とれていた。
 「夕べから結構降りましたからね。うまい具合に積もりましたね」
 住職は寒さにも慣れた様子でふるえもせずに話していた。
 「秋の紅葉も最高の状態でしたけど、雪もいい感じになりましたね」
 俺がそう言う横で高尾は急いで撮影準備をしていた。参詣客が来る前に済ませてしまわないといけない。それを見て遠田も慌てて手伝い始めた。
 山門から見た境内を撮影した後は奥の部屋から心字庭園を撮影した。凍った水面とまわりの雪の競演は見事だった。高尾は夢中でシャッターを切っていた。
 その後は観音堂前の長い石段や、護摩道場を撮影して、一通りのポイントは終わった。
 俺たちが機材を抱えて戻って来ると、住職の奥さんに「お茶入れますのでどうぞこちらへ入って下さい」と事務室に案内された。暖房のきいたそこでは黒猫がソファで寝ていた。
住職が猫を追い払って「どうぞかけて下さい」とすすめてくれた。
 「寒いのにお疲れ様でしたね」
 住職は修行のたまものか、作務衣しか着ていないのにあまり寒そうな感じではなかった。一方で俺たち三人はまだ少しふるえていた。
 「和尚さん、いいのが撮れましたんで後でお持ちしますね」
 高尾が満足げな表情で言った。高尾は撮影の後、特に出来のいい作品があった時は引き伸ばして住職にプレゼントしていた。
 「ありがとうございます。前回の紅葉も素晴らしいのが撮れてましたね。なんか今年は季節がそれぞれその季節らしくて、いいですね。まぁこれが本当なんでしょうけど」
 「やっぱりここはかなり温度が低いですね。今日も街ではちらほら降る程度でしたから」
 高尾がそう言う横で遠田が窓の外の人の動きを見ていた。
 「誰か来た?」
 俺が言うと遠田は窓の外を見たままにやっと笑って、「間須さんですよ」と言った。
 「間須君?何やってんのかな?」
 住職も一緒に窓の外を見た。俺たちのいる事務室からはよく見えなかったが、間須さんは雪の上で一人で何かしていた。気になるのでみんなで見にいこうということになった。
玄関から出てみると、大楓の横の道のところで間須さんが大の字になって雪の上に寝ていた。
 「間須さん、何やってんですか?」
 遠田が聞くと、間須さんは寝た状態のまま首だけ上げてこちらを見た。
 「雪の上に大文字焼きをしてやろうかなと思って」
 俺たちはさすが間須さんだと笑った。住職は「まったくなにをやってんだか」と笑いながらあきれていた。
 間須さんがゆっくり起き上がると、その跡に大の字がきれいに出来ていた。
 「雷山名物、冬の大文字焼きです」
 得意げな間須さんだった。
 「しかしいつもながらどうしてそんなに下らないないことばっかり考えつくんですか?」
 俺がそう言うと間須さんは、ふんという表情で「まぁ、凡人にはわからないでしょうけど、芸術家の衝動と言いますかね・・・」と皮肉っぽく言った。そこでいきなり高尾が、「よし、俺も!」と言うと、足跡もなにもない少し離れたところに移動して手を広げてばたっと倒れた。
 「見てん、間須さんのよりきれいな大の字ができたぜ」
 それを見て我慢できなくなった遠田は、「私も!」と言ってまた別の場所でばたっと倒れた。
 「遠田の大の字は細いね」
 笑いながら高尾が言った。
 「大の字に体型が出ますね。間須さんの大の字はなんか小さくてかわいいですね」
 遠田に言われてむきになった間須さんは、「そんなことはありません。よし、ではもう一つお見せします」と言いながらきれいな雪の部分に移動しようとして、雪の中の何かにつまづいたらしく、その場で顔からばたっと倒れてしまった。俺たちは爆笑した。
 「前に倒れて大の字とは思わなかったなぁ。さすが間須さんや」
 高尾がそう言うと倒れた間須さんが無言のまま顔を上げた。真っ白になったその顔を見て高尾と遠田は、腹を抱えて笑った。「参りました。参りました。優勝は間須さんです」 と言いながら遠田は間須さんが起き上がるのを手伝った。「間須君、風邪引くよ」と労わりながらも住職も大笑いしていた。俺もその時はみんなのはしゃぎようが愉快だったし、突然間須さんの狙っていない失敗にみまわれたので思い切り笑ってしまった。
車一台通らない、鳥の一羽も鳴かない静かな雷山の中腹で、俺たちの笑い声だけが響いて、まわりのあらゆるものを覆った白い雪の中にしみていくようだった。

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千の灯火(ともしび) 第36回

 俺はいつしか泣いたまま酔いつぶれたように眠ってしまった。千秋と御節料理を食べている夢を見た。料理はどんどん腕を上げておいしくなっていくけど、食べこぼす癖はなおらないなぁと言いながら二人で笑ってた。食事が終わって千秋が食器を片付けるために立ち上がったところで目が覚めた。立ち上がったのは福田さんだった。テーブルの上のものを片付け始めていた。
 「内田さん、まだ寝とって下さい。疲れとりんしゃぁでしょ?」
 「いえ、もう大丈夫です。すいません。どれくらい寝てました?」
 「一時間くらいですよ」
 「長居してしまいましたね」
 「まだ帰れませんよ。酔いが冷めるまで運転したらだめですよ」
 あつかましいとは思ったが、言われるようにまだ運転できるような状態ではなかったので酔いが冷めるまでいさせてもらうことにした。
 「さっきは・・・すいません。お見苦しいところを・・・」
 「なんがですか。気にせんで下さい。私に心の中を打ち明けてくれんしゃったとが嬉かです。たまには誰かに聞いてもらうほうがよかですよ」
 「ええ。なんか少し重みが減ったような気はします」
 福田さんは洗いものをしながら話していた。俺はソファの前に座ったまま、部屋を見回した。その時に初めて部屋の中が無駄なものがなくセンスよく片付けられていることに気付いた。
 「きれい好きなんですね」
 「いや、普段は汚かとです。内田さんが来るけん、今朝慌てて掃除したとです。コーヒー飲みますか?酔い冷ましにいいですよ」
 「あ、お願いします」
 「豆から挽くんでちょっと時間かかりますよ」
 「豆挽くんですか?じゃそれ私にやらせて下さい。据え膳だけじゃ申し訳ない・・・」
 「よかとですか?すいません。豆は冷蔵庫にあります。グラインダーはそこに・・・」
 俺はグラインダーに豆を入れてまわし始めた。心地いい香りがしてきた。豆はモカマタリだった。俺の好きな豆だった。
 「豆はどこで買うんです?」
 「飯塚のオアシスコーヒーです。通販でいつも買うとです」
 「オアシスコーヒーご存知でしたか」
 「内田さんが前に『ちくし』で紹介されとったやないですか。あれで知ったとです」
 「あれは私じゃなくて瀬戸山課長ですよ。グルメコーナーは課長が書いてます」
 「そうでしたっけ?」
 「ええ。オアシスコーヒーは課長のお気に入りですから。私もうちで飲んでます」
 キッチンで挽き終わった粉をフィルターにうつして彼女がお湯を注いだ。粉はやわらかくふくらんでゆっくりと沈んでいった。俺も彼女の横でそれを見ていた。コーヒーが落ちるのを待つ時間はそこにいる人に何か話しかけないといけないと思ってしまうのは俺だけだろうか?
 「あの・・・私は福田さんに待ち伏せされたのは嬉しかったですよ・・・」
 「え?」
 お湯を注ぐ彼女の手が一瞬止まった。
 「あなたは魅力的な人だと思います・・・男性ならみんな喜ぶと思いますよ」
 「それは・・・どう受け止めたらよかとですか?」
 コーヒーが落ちていく音がしていた。それ以外には何の音もしなかった。
 「またチャンスがあるけん、あきらめろていうことですか?」
 俺としてはそういう意味だったが、俺の答えを待つ彼女の緊張した表情を見ていると肯定することができなかった。
 「いや、そういう意味じゃなくて・・・ただ、男性ならみんな魅了されるほど素敵ですよと言いたいだけです」
 こう言っても彼女の表情は明るくはならなかった。俺の真意をさとったのかどうか、よくわからない表情をしていた。次に彼女がどう言うか俺は待った。だが彼女はコーヒーをカップに注いで、「飲みましょ」とだけしか言わなかった。

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千の灯火(ともしび) 第35回

 俺は酔った。気持ちのいい酔いだった。それに夕べからの仕事の疲れで俺の意識は徐々にぼんやりとした霞がかかったようになってきた。
 「内田さん、毎日ご飯は自分で作るとですか?」
 「作りますよ。嫁さんにいろいろ習ったんです」
 「いろいろご不便じゃなかですか?」
 「まぁ・・・休みの日は家事に追われますけど・・・それも慣れました・・・」
 俺の傷に触れないように彼女がおそるおそる話しているのがわかった。
 酔っている状態で自分のことを話すと思わぬ寂寞に襲われるのはわかっていたから、俺は聞かれたこと以外は話さないようにした。だが彼女の様子はもっと俺の心理の奥を覗きたいふうだった。
 「・・・再婚はされんとですか?」
 核心に来たなという感じがした。まともに答えるべきかどうか考えたが、正常でない俺の頭は惰性で答えることを選んだ。
 「今は・・・考えられないですね・・・」
 「奥さんのこと、よっぽど・・・」
 「ええ。好きでした・・・」
 「・・・」
 「自分の全てを賭けれるくらいね・・・自分が生きている理由がそこにありました。全ては彼女のためでした。だから・・・もう私にはこれからの時間はあまり意味がないんですよ。自殺はしないと思いますけど、ただ死ぬまで生きるという感じです。まぁそのうち楽しいことも少しはあるかなと思いつつね・・・」
 「だめですよ。そんな生き方」
 「ええ。だめです。もう考えるのも疲れました」
 「内田さん・・・」
 俺はソファにもたれて目を閉じた。まずい、こういう話はまずい・・・そう思ったが既に手遅れだった。またいつものように俺の横に悲しみが近づいてきて肩をゆすった。ほら、泣けよ、千秋に会いたいんだろ?泣けよ・・・
 「奥さんはそんな内田さん見て喜ばっさんですよ。元気にならなつまらんですよ」
 「・・・・・・」
 「残りの人生も強く生きて欲しいて思うとらすとじゃなかですか?落ち込んだ内田さん見たら奥さんも悲しいとやなかですか?」
 「そうですね・・・わかってるんですよ自分でも・・・」
 「それなら・・・」
 「わかってるんですけど、なんていうか、踏ん切りがつかないんです。私としては新しい人生を作る気がまったくないわけでもないんです」
 彼女は身動きひとつせずじっと俺の顔を見ていた。
 「千秋に生き返って欲しいとか、そういうことじゃないんです。誰でも大事な人との死別は経験するものです。それを乗り越えて生きていくのがいわば人間の義務です。私もそうしたいです。ただ、ただひとつだけ・・・」
 「・・・ひとつだけ?なんです?」
 「別の世界に行く彼女に一言伝えたかったんです・・・ごめんねって・・・あの日の朝つまらないことで喧嘩したんですよ。ほんとにつまらないことで・・・それでいつも彼女が先に出かける時は見送るんですが、その時は私は見送らなかったんです。私は二階の自分の部屋にいたんですが、玄関で彼女が『行ってくるね』っていつものように優しく言ってくれたのに、私はへそまげて何も答えなかったんです。そのことをどうしても謝りたい・・・自分の全てを賭けて愛していた千秋に最後に見せた顔が笑顔じゃなかったなんて、私にはどうにも耐えられない苦しみなんです・・・どうしても忘れられない後悔なんです・・・」
 堰を切ったように涙が溢れて俺の頬を流れた。幾筋も幾筋も流れた。ぬぐってもきりがないのでそのままにした。わずかに目を開けると部屋の中のものがにじんで見えた。目の前で彼女が泣いているのも見えた。

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千の灯火(ともしび) 第34回

 俺は料理と雰囲気がいいと酒がすすむので、この時もかなり杯を重ねてしまった。こうやってくつろいで酒を飲むこと自体、久しぶりだったせいかもしれない。
 俺につられてか、彼女もよく飲んだ。酒が強くて、かつ博多弁で話す彼女はまさに博多のごりょんさんという感じだった。
 「福田さんもお酒強いみたいですね」
 「あんまり飲む機会はなかとですけどね。今日は内田さんが来てくれたけん、嬉しかけん、飲みすぎてしまいます」
 「私もだいぶ飲みました。この酒おいしいですね」
 「でしょ?新潟のお酒ですけど私これ好きなんです」
 彼女の目の輝きは酔ったせいかいつもほどではなかった。逆に少し曇った感じのその瞳が俺には妖艶な感じがした。
 会話がとぎれた時、彼女は低いテーブルの向い側で片手を床について、もう片方の手でさかずきをもてあそびながら何かを言い出しかねているような様子をしていた。それに気付いた俺は彼女に聞いてみた。
 「どうしたんですか?なんか言いたそうですね」
 「え?・・・いや・・・」
 「言って下さいよ。気になるじゃないですか」
 「はい・・・」
 そこで彼女は居住まいをただして、俺に目を合わせないで話し始めた。
 「あの・・・私、内田さんにあやまらないけんとです・・・」
 「なにをですか?」
 「紅葉の時に千如寺で会った時、実は待ち伏せしとったとです。それと、図書館で会った時も・・・」
 「なんだ、そんなことですか。そんなのなんであやまる必要があるんですか?」
 「実はちょっと事情がありまして・・・」
 彼女は下げていた目線をちらっと俺のほうに上げたがすぐにまた下げた。
 「私、前から『ちくし』ば読みよって、内田さんの文章が好きやったけん、いつか会ってみたいて思いよったとです。そしたらうちの社長と瀬戸山課長が知り合いっていうのを知って、社長に相談したとです。内田さんがどんな人か見たいけんって。そしたらうちの会社の十周年記念パーティーの何日か前に社長に呼び出されたとです。その席には瀬戸山課長もおったとです。そして内田さんが飛行機事故で奥さん亡くされてずっと元気がないていう話を聞きました。瀬戸山課長は内田さんに誰かいい人おらんか探しよったらしいとです。それでうちの社長が私はどうやろうかて思ったらしくて・・」
 俺はそう意外な感じは受けなかった。瀬戸山課長の思いやりには慣れていたので、やりそうなことだと思った。ここまで家族的な上司が他にいるだろうか?感謝の思いは酔った俺の胸にきつく沁みていった。
 「それで、パーティーの時に瀬戸山課長のかわりに内田さんが来るけん、紹介するていうことになったとです。その後で社長に、気に入ったらつきあってみらんか?て言われたんですけど、内田さんはまだそんな気分にはなれんやろうけん、最初は友達ていう形で接触したほうがいいやろうていうことになって、内田さんの行動予定を瀬戸山課長から聞いて待ち伏せしたとです・・・」
 まさに遠田の読みの通りだった。女性の勘はすごいなと思った。
 「でもなんかずっとだましとるようで、申し訳なくて・・・実は今日の雑煮も友達のためじゃなくて、内田さんのために作ったとです・・・」
 俺は返す言葉に迷った。気にするどころか逆に感謝したいことと、そんなからくりがあったことに対して何も思ってはいないことを伝えたかったが、口から出た言葉は、「そうだったんですか・・・」という月並みなものだった。
 「ごめんなさい・・・」
 しおれた様子の彼女が痛々しかったので、俺は慌てて慰めた。
 「そんな、あやまらんで下さい。何も思ってないですから。女性に待ち伏せされて喜ばない男なんていませんよ。気にせんで下さい」
 彼女はようやく目線を上げた。少し安心したような様子が表情に表れていた。
 「そんなこと気にせんで、もっと飲んで下さい。今日は元旦ですよ。一年の初めは楽しくいきましょうよ」
 俺はこんなセリフを言う自分が信じられなかった。ずっと慰められてばかりだったので、慰めるという感覚は久しぶりだった。まだ俺でも誰かの役に立つのかなと少し嬉しく感じた。

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千の灯火(ともしび) 第33回

 翌朝、眠い目をこすりながらホテルのフロントでチェックアウトし、朝の冷気が一層厳しい雷山へ戻って、初詣の人の様子を七時くらいまで取材した。そして北村住職と奥さんに新年の挨拶をした後、雷山を後にした。
 元旦の朝は車も少なかったので有料道路を使わずに走った。二〇二号線をひたすら東に走り、三号線にぶつかると左折して箱崎へ向かった。
 本屋の駐車場に着いた時はまだ八時半だった。福田さんはまだ寝ているだろうなと思い、しばらくそこで仮眠しようかと思ったが、もしかすると朝ごはんとして準備して待っているかもしれないと思い、一応電話だけはしてみることにした。
 呼び出し音が鳴るとすぐに受話器から彼女の声が聞こえた。
 「着きました?」
 「あれ、私ってわかるんですか?」
 「番号登録しときましたけん。意外と早かったですね」
 「早すぎたかなと思ったんですけど」
 「いいえ、準備はできとりますけん、どうぞどうぞ」
 俺は彼女の誘導で車を移動し、学生が住んでいそうな小さいマンションの彼女の部屋のドアの前に立った。呼び鈴を押すとすぐに中からドアが開いた。
 「どうぞー」
 「失礼します」
 部屋の中は雑煮のいい香りがした。故郷の正月を思い出すようだった。
 「いい匂いですねぇ」
 「今あたためよったとです。どうぞ座って下さい」
 マンションの小さい外観のわりには部屋の間取りは広かった。一人暮らしには十分以上と思われた。俺は大きな液晶テレビの前に置いてある低いテーブルの前に座った。後には柔らかそうな低いソファーがあり、そこに背をもたせかけるとかなりリラックスできた。
 テーブルの上には既に田作りや黒豆、お煮しめなどが並んでいた。お猪口まで置いてあった。
 「先に乾杯しまっしょ。お酒ありますけん。これ、上善如水。知っとるですか?おいしかですよ。これをお屠蘇がわりに・・・」
 彼女は小さい瓶に入った日本酒を俺の猪口に注いでくれた。自分のにも注ごうとしたので俺は慌ててその瓶をとって、彼女に酌をした。
 「じゃ、乾杯。あけましておめでとうございます」
 「おめでとうございます」
 一口目の酒は何も入っていない胃に気持ちよくしみていった。すっきりとした味が気に入って、何杯も重ねてしまった。
 「料理全部自分で作られたんですか?」
 「全部やなかですけど。黒豆とか作りきらんけん、実家から送って貰うとです」
 「実家は博多やないんですか?」
 「私生まれは綱場町です。でも親は引退してから引っ越して九重におります」
 「九重?いいとこですねぇ」
 「両親とも前から住みたいて言いよったとです。父親が退職金で九重に土地ば買うて好きな家建てて住んどります」
 「じゃぁ実家に帰る時はリゾート気分ですね」
 「家の周りは別荘ばっかりです」
 「ハイソな感じなんでしょうね」
 「でもシーズンオフはみんなおらんくなるけん、寂しいみたいですよ。あ、お雑煮持ってきますね」
 彼女はキッチンに戻り、あたたまったお雑煮を小さいお盆にのせてきた。
 「はい。うちのオリジナルの味です。博多の雑煮ともちょっと違いますけん」
 「いただきます」
 味わってみると、上品な薄味で九州人の俺にとっては新鮮だった。
 「おいしいですね、これなら何杯でも食べれそうです」
 「何杯でも食べて下さい。いっぱいありますけん」
 俺は夕べからろくなものを食べてなかったので調子に乗って三杯も食べてしまった。さすがにきまり悪くて、「すいません、あつかましくて・・・」と言ったら彼女はひどく嬉しそうな表情で、
 「いいえ、まずくてあんまり食べてもらえんかったらどうしょうか思うたけん、よかったです」
 と言った。
俺はその時久しぶりに安らぎというものを感じた。

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千の灯火(ともしび) 第32回

 境内のかがり火は冬の闇を押しのけていた。それが隅のほうにたまってしまったように、明りの届かない場所は余計に闇が深くなっていた。時計の針が十二時に近づく頃には参詣の人で足の踏み場もないくらいになった。
 俺は混雑から少し離れた場所からその様子を撮影した。住職のお弟子さんが除夜の鐘の準備のために仁王門の上に登って行くのが見えた。
 観音堂前の石段は上る人と下りる人の交差する列で埋まっていた。撮影ポイントを移動するのにも時間がかかった。
 北村住職や間須さんたちは忙しくて結局観音堂から下りないままだった。俺は一人であちこちと移動して撮影した。カメラを持つ手が冷たかった。
 観音堂の前から石段を見下ろすようなポジションから、参詣に来る人の群れを撮影していると、ファインダーの中にひと際白い顔が入った。福田さんだった。これで三度目なのでさすがに俺も遠田が言っていたことが本当かもしれないと思った。俺は話しかけるかどうかちょっと迷ったが、いずれ見つかるだろうと思い、彼女が石段の一番上に来た時に声をかけた。
 「福田さん!」
 「あ、内田さん、やっぱおんしゃった!」
 「私がいると思って来たんですか?」
 「どうせ初詣に行くつもりやったけん、ここなら内田さんもおるかなて思うて」
 「やっぱりストーカーされてますね。ははは」
 寒くて笑い声もどこか凍っていた。
 「内田さん、まだおるとでしょ?」
 「はい。もう少しいます」
 「ちょっとお参り済ませて来ますけん、待っとって下さい」
 彼女はそう言うと観音堂へと入って行った。
 参詣客は予想以上に多く、観音堂の中も人でいっぱいだったようで、彼女が出てくるのに少し時間がかかった。
 「すいません、お待たせしました。中もすごかですよ。コート着てたら暑いくらいでした」
 仁王門の方角から除夜の鐘が鳴り始めた。俺たちは人の波にもまれつつ石段を降りていった。灯火がともった石灯籠が並ぶ前で彼女が言った。
 「内田さんは取材終わったら帰らすとですか?」
 「いいえ、ホテルに仮眠に戻って、朝また戻ってきます。早朝の様子を少し取材して終わりです」
 「その後はなんか予定があるとですか?」
 「帰って寝るだけです」
 「それやったら・・・」
 彼女はここでちょっとためらった。その美しい横顔を揺れる石灯籠の灯火が照らしていた。高い鼻が印象的だった。
 「帰りにうちに寄らんですか?お雑煮ば食べに来らっさんですか?」
 「お雑煮ですか?いいですね。ご自宅はどちらなんですか?」
 「箱崎です」
 「お雑煮自分で作られるんですね。それともお母さんが?」
 「私、一人で住んどるとです。友達が正月に遊びに来る言うけん、張り切って作ったら、友達が来れんくなったとです」
 「そうですか。もったいないですね。じゃぁお言葉に甘えて寄らせていただきます」
 「ええ、是非どうぞ」
 俺を見上げる瞳は灯火を反射してオレンジ色に輝いていた。俺は一瞬、その美しさに魅了された。
 「えーと、住所を教えて下さい」
 俺は間が持てなくなって彼女に聞いた。
「箱崎の三号線沿いに明文堂っていう本屋さんがあるでしょ?」
 「はいはい、ありますね。たまに行きます」
 「あの本屋まで来たら携帯に電話して下さい。誘導しますけん。あそこからすぐです。私の携帯の番号は・・・」
 「あ、わかりますよ。パーティーで頂いた名刺に書いてあったのでいいんでしょ?」
 「そうです。そこに電話して下さい」
 「わかりました」
 「お屠蘇もありますけん、飲んで行ってください」
 「いや、車なんで・・・」
 「そがん、すぐ帰らんでもよかやなかですか。酒が冷めるまでおってもよかでしょ。なんも用事はなかとでしょ?」
 その誘い方が博多のおやじそのものだったので思わず笑いが出てしまった。
 「なんがおかしかとですか?」
 「いえ、べつに・・・」
 「私の博多弁ば笑いよらすとでしょ?治らんとですよ。どこに行っても出てしまうとです」
 「だめだめ、治したらだめですよ。どうか治さないで下さい」
 「治さんと内田さんに笑われるけん」
 「すいません。笑いませんから治さないで下さい。なんか福田さんの博多弁を聞くのが楽しみになってきました」
 「電話くれたらいつでも聞かしちゃぁですよ。あははは!」
 屈託のない彼女の笑い声は、山の冷気で凍えていた耳に気持ちよく響いた。
 「じゃぁ、待っときますけん」
 「ありがとうございます」
 彼女は「部屋掃除しとかな!」と独り言をもらしながら山門を抜けて行った。その姿はたとえようもなくかわいかった。

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千の灯火(ともしび) 第31回

 その年も終わりに近づき、会社は冬季休暇に入ったが、俺は一人で取材の準備をして、予約を入れている前原のビジネスホテルに向かった。大晦日の夜と元旦の早朝の千如寺の様子を取材するつもりだった。ホテルには除夜の鐘の取材の後に戻るのでおそらく深夜二時頃になるだろうと思った。そして早朝は五時には出ないといけない。わずか三時間ほどのホテルの利用だったが、多少でも仮眠をとっておいたほうがいいと思ったので部屋をとった。
 ホテルにチェックインすると、狭いシングルに通された。荷物を置いて窓のカーテンを開けると遠景に雷山が見えた。おそらく夜はかなり冷えるだろうと思ったので一枚余計に着込んだ。
 少し休憩してホテルを出たのが夜九時。まだ坂は凍結していないと電話で北村住職に聞いていたが、一応タイヤはスタッドレスに替えてきた。千如寺への道をゆっくり登ったが、まだ参詣の車はあまり見なかった。駐車場に車を止めて寺に入った。
 境内は雪には覆われていなかったが、冷たい空気が草木の動きを凍らせているようだった。ちらほらと参詣の人が肩をすくめて動いていた。葉をなくした大楓の姿は余計に体を冷すように感じた。
 「こんにちは・・・」
 俺は事務所のほうに声をかけた。すぐに「はい」という返事とともに住職の奥さんが出て来られた。
 「あ、お疲れ様です」
 「住職はお忙しいんでしょ?」
 「今、観音堂で準備しております。呼んできましょうか?」
 「いいえ、今日は大晦日の夜と元旦の朝の境内の様子を取材するだけなんで、どうぞお気遣いなく」
 「すいません。下りてきたら呼びますので。寒いので上がられて下さい。今お茶を出しますので」
 「すいません・・・」
 靴の底から伝わる寒さがきつかったので奥さんの申し出はありがたかった。俺は事務所に通され、猫が気持ち良さそうに寝ているソファの隙間に座った。
 ほどなく奥さんがお茶とお菓子を持って入って来た。
 「ここは寒いでしょ?まだ雪は振りませんけどだいぶ冷え込んだんで今年は参詣される方が少ないかもと話してたんです」
 「どうですかね?坂が凍結してないからまだいいんじゃないですか?」
 奥さんはお茶をのせてきたお盆を抱くようにして住職の作業机の前の椅子に腰掛けた。
 「そうですね。凍結したらもう、誰も来ません。ふふふ・・・完全に孤立しますよ」
 「四駆のスタッドレスじゃないと上がれないって住職言ってましたもんね」
 「凍結した日は静かですよ。境内に人の気配がなくて」
 「一回、そういう時に来てみたいですね」
 「雪が積もれば誰も来れないので今度積もったら来て下さい。ふもとで電話してもらえば住職が迎えに行きますので」
 「でもあつかましくてそんな・・・」
 「住職は内田さんが来るのすごく楽しみにしてますから喜びますよ。雪の日は暇になりますから逆に来て欲しいと思いますよ」
 奥さんは年齢を推測できない美しい笑顔を浮かべて言った。落ち着いた物腰は奈良時代から続く古刹の住職を支える人としての気品を備えていた。
 「仕事で雪の千如寺の写真も撮りたいので、今度雪が積もったらお邪魔します」
 「どうぞどうぞ。高尾さんと遠田さんもご一緒にどうぞ」
 「ありがとうございます」
 かすかな風が雨戸を動かしている音が聞こえた。俺は事務所の窓から境内を覗いたがまだ人の動きはまばらだった。
 「何時くらいから多くなりますか?」
 「だいたい十一時過ぎてからですね」
 「それから朝までにぎわいます?」
 「いいえ、二時過ぎたくらいに一端静かになります。そして朝六時くらいからまた多くなります」
 「じゃぁ、二時までいて朝五時半くらいにくればいいですね」
 「ホテルに泊まられるんですか?」
 「ええ。仮眠に戻るだけですけど」
 「年末年始もお仕事で大変ですね」
 「いえ、仕事してるほうが精神的に楽なんで」
 俺がそう言って笑うと奥さんの目に憐れみが浮かんだのがわかった。

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千の灯火(ともしび) 第30回

 十二月に入り、会社の中もどこか慌しくなってきた。俺は秋の紅葉の記事の校正と、大晦日の取材の準備のために、遠田を連れて図書館に来た。二階で向かいあってペンを走らせている時に、遠田が言った。
 「内田さん、大晦日の取材が終わった後はどうするんですか?帰省しないんですか?」
 「何も考えてないよ。家で寝るよ。遠田はどうすると?」
 「私、田舎に帰ります」
 「何日まで?」
 「多分、三日くらいまで。内田さんもちょっと帰ったらいいのに」
 「ひょっとしたら両親のほうが来るかもしれん。食糧を抱えて」
 「時々来られるんですか?」
 「うん。実家に畑があるけん、野菜とかどっさり持ってくるよ。自炊してるなら今度少し分けてやるよ。料理は得意?」
 「得意じゃないですけど、好きです。じゃぁ今度来たら少し下さい」
 「いいよ」
 俺はそこで席を立つと、宗教の棚に資料を探しに行った。膨大な数の書籍の中で、このコーナーだけは人が少なかった。どこか日本という国を象徴しているような気がした。だがそのほうが俺にとっては静かにゆっくり探せるので気が楽だった。
 ある本に興味深い箇所があったので立ったままそこで見入っていると、俺のいる場所の右手にあった窓のほうからの光がさえぎられた。誰かいるのかと見てみると女性がそこに立っていた。
 「内田さん、なんばしよらすとですか?」
 女性は光を背に逆行の状態で立っていたので誰だかすぐにはわからなかったが、博多弁を聞いてそれが「天神プランニング」の福田さんだとわかった。
 「あれ、福田さん、よく会いますね」
 「ほんとですね」
 「私のこと尾行してるでしょ?」
 俺が笑いながら言うと彼女は、「バレました?」と舌を出した。
 「私、内田さんのストーカーやとです。ずっと後をつけよるとです」
 「怖いですね」
 図書館なので俺たちは声をひそめるようにして笑った。
 「ほんとは仕事の調べ物に来たとです。内田さんもそうでしょ?」
 「はい」
 「私、記事の調べ物で時々来るけん、今までもどこかですれ違うたかもしれんですね」
 「そうですか。私は週一回くらい来ますよ」
 「今日は何を調べよぉとですか?」
 「こないだの千如寺ですよ。もうずっとこればっかりかかりきりです」
 「大仕事ですね」
 「ええ。会社も私も気合入れてます。あ、もしかしてスパイしてます?」
 「ふふふ、そんなの秘密でもなんでもなかですよ。瀬戸山課長がうちに来て世間話に社長に話しよらすけん」
 「なんだ、そうですか」
 彼女は声を出さずに笑っていた。
 「内田さん、一人ですか?」
 「いえ、弟子を一人連れてます」
 「弟子?」
 「ええ。新人なんですけど、今ライターの修行中です」
 「お弟子さんがおるとですか。私も内田さんに弟子入りしたかです。師匠は厳しいですか?」
 「厳しいですよ」
 俺がにやりと笑うと、彼女も同じような表情を作ったのが、俺には何か意味があるように思われたが、彼女はそこで、「じゃぁ、私帰りますけん。またどこかで会いまっしょ」と言うと、もと来た方向へ戻って行った。シルエットになった彼女の後姿は彼女のスタイルをきれいに表現していた。美しいラインだった。俺は小さく「お疲れ様でした」と声をかけた。
 宗教のコーナーで見つけた本を抱えて席に戻ると、うつむいて記事を書いていた遠田が急に顔を上げた。
 「今の人誰ですか?」
 「は?見とったと?」
 「私も本探しに行ったんですよ。そしたら仲良さそうに話してるし」
 「天神プランニングの社長秘書の福田さんよ」
 「あぁあの人がそうですか。きれいな人ですね」
 「うん。美人秘書で有名よ。富田社長のご自慢よ」
 俺は遠田の声がちょっとトーンが下がっているのに気付いた。
 「ここに何しに来てたんですか?」
 「同じよ。調べ物って」
 「ほんとですか?実は内田さんに会うために待ち伏せしてたんじゃないですか?」
 「するかいなそんなこと。まだ二回しか会ったことないんよ?」
 「二回?パーティー以外でどこかで会ったんですか?」
 「紅葉を撮影に行った時に千如寺で会ったよ」
 「その時は何しに来てたんですか?」
 「遊びに来てたみたい」
 「一人で?」
 「うん」
 「それも待ち伏せですよ。内田さん狙われてますよ」
 遠田の下がったトーンの意味がわかった。
 「なんで俺が千如寺に行くとか図書館に行くとかわかるわけ?どっちも偶然よ」
 「瀬戸山課長と富田社長は仲良しでしょ?そのルートから聞いたんですよ、きっと」
 「アホらしい。なんでそんなまわりくどいことをせんといかんの?」
 彼女はそれには答えず、「絶対そうですよ」とふてくされたようにつぶやいた。その表情を見ていると、女性の多いパーティーに出席して帰りが遅くなった時の千秋のことを思い出した。確かあんな感じですねていた。かわいい顔ですねていた・・・。

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