えしぇ蔵小説集

福岡ESEグルメのえしぇ蔵の小説集です。それなりにがんばってるつもりです。

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千の灯火(ともしび) 第1回

 俺にとって新しい朝の訪れは恐怖だった。じわじわと襲ってくる覚醒が何よりも怖かった。俺には逃げ道がないことを毎朝丁寧に知らされて、俺の神経は削られていった。
 暦は九月になったが外はまだ日差しが強かった。千秋が乗った飛行機が消息を絶ったのは去年の夏。いちばん熱いさかりだった。知らせを聞いた時は何も考えられなかった。とにかく暑くて苦しくて、全てがまぼろしのように感じた。それからの一年は文字通り地獄だった。
 家のどこを見ても千秋がいるような気がした。台所に行けば料理をする彼女が見えるし、食卓に座れば向かいに彼女がいる。洗面所で歯を磨いている彼女。ソファに寝そべってテレビを見ている彼女。ベッドの左半分で寝ている彼女・・・。
 よく二人で言い争ったもんだった。「俺が先に死ぬ」「私が先に死ぬ」。残されたほうはつらいからお互い先に死にたかった。結局千秋が勝ったことになる。しかしこんなに早く勝負がつくとは思わなかった。俺は残りの人生を苦しみながら生きるのだ。あらゆる場所で作った想い出がかわるがわる浮かび上がって来て、ほらこんなこともあったぞ、こんなに楽しかったぞと皮肉たっぷりに耳元でささやく。それをただ我慢して聞いていないといけなかった。逃げることはできなかった。
 一体、最愛の人に若くして死に別れた人たちはどうやって立ち直ったのだろう?不思議でしょうがなかった。俺は完全に立ち直る自信はなかった。時間が解決するのだろうか?何年かたてばまた心から笑えるようになるのだろうか?生きる喜びを噛締めることができるようになるのだろうか?希望に満ち溢れ、夢を追いかけ、愛を感じる生活に戻れるのだろうか?とても信じることができなかった。希望も夢も愛もどうでもいい。お金も地位も全部いらないからただ千秋だけを返してくれ。もし神様がいるならそう言って取引したいと思った。
 我ながら女々しいと思った。それまでの俺の性格は前に突き進むことしか頭にないポジティブな人間で、弱気な友人たちを励ます役目をしていたが、ふと気付けば俺よりもマイナス思考の人間は俺のまわりにはいなかった。ほんの一年そこらのことなのにこの変わりようはどうだ。
 深く愛していたからこんなことになるのか?こんなにいつまでも苦しむのか?だったら適当に愛しておけばよかった。適当に愛する?そんなことができようか?愛に段階などない。愛には最上しかない。そうなると愛したこと自体が失敗か。でも愛のない人生なんて意味があるのだろうか?
 哲学的で何のたしにもならない思考・・・。
準備もできたことだし出勤しようと俺は思った。愛車に乗ってオフィスへ向かう。大手門のお濠の前の通りにあるオフィスへ着けば仕事で気が紛れるだろうと思った。
 車に乗るとその閉鎖された空間の中が別世界のように感じた。窓の外には幸せな世界があった。みんな淡々と生きていた。社会も自然もいつものとおり。何も変わっていなかった。だが車の中の俺はどうだ。助手席に悲しみ、後部座席に苦しみと絶望を乗せてみんなで楽しくドライブだ。弁当持ってきたか?
 本当にもうたくさんだと思った。思い切りアクセルを踏んで猛スピードでどこかに激突すればすぐに千秋に会える。そうだ、簡単に会えるぞ。やってみるか?え?どうだ?そんな勇気もないのか?それじゃ救いようがないじゃないか。

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千の灯火(ともしび) 第2回

 俺の勤めている会社は出版社で、「ちくし」というローカル情報誌を発行していた。俺はそこでライターをしていた。専門は歴史。毎回なにかテーマを決めて、それについて徹底的に調べて書く。結構まめな性格なのでこういう仕事は好きだった。前回のテーマは立花道雪について。千秋のことがあってだいぶ遅れはしたが、なんとか記事も書き終えて提出した。その日は新しいテーマをもらう日だった。どんなテーマにしてもそれに完全に没頭してしまおう、今は仕事だけが救いだと思った。
 まだ早いオフィスに、すでに瀬戸山課長がコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。俺が挨拶しながら入って来たのに気づくとこちらをちらっと見て、「お、内田早いね」と言うとまた新聞に目を戻した。わざと平静を装っているのがわかった。俺のような経験をした部下を持ったらどう接したらいいか、おそらく課長も悩んだことだろう。はじめは慰めたり励ましたりしてくれたが、いつまでもそんなふうに接していると俺がもとのように元気になれないと思ったのだろう。最近は何事もなかったかのように普通にしている。この人には一番心労をかけただろう。申し訳ない話だ。俺のほうも感謝の気持ちを表現したいが何も思いつかなかった。とりあえず今度のテーマで今までに劣らないいい仕事をしよう。瀬戸山課長ならわかってくれる。そう思った。
 「打ち合わせするけん、会議室に来て」
 「わかりました」
 俺はコーヒーをいれると会議室に入った。課長も企画書の束を持って入って来た。
 「今度のテーマが決まったぞ」
 「何ですか?」
 「千如寺って知っとるか?前原の雷山にある古い寺やけど」
 「はい。何回か行ったことがあります。住職の北村さんには懇意にさせてもらっています」
 「そうか。それなら仕事しやすかろう。千如寺についてたっぷり記事を書いて欲しいとよ。いつもよりたくさんね。特集を組むけん。五回のシリーズにして連載するけん」
 「すごいですね。いつから連載スタートですか?」
 「時間はある。ちょうど一年。来年の秋から連載を始めるけん。うまくいけばそのまま本にするかもしれん」
 「でも一年ってえらい長いですね。そんなに必要ですか?」
 「千如寺の一年の行事と春夏秋冬の境内の自然を載せるけん」
 「なるほど」
 そうなると一年以上雷山千如寺に没頭するわけだな、それも面白いかもしれないと思った。
 「面白そうですね。今日から始めてよかですか?」
 「お、張り切ってるねぇ。いいねぇ。今日から始めていいよ。今回は会社も気合入れとるけんね。カメラマンも高尾をつけるよ。あいつが我が社じゃ一番やけん。それとお前も一人で調べ物は大変やろうけん、助手を一人つけるけん」
 「いらんですよ。一年もあるなら」
 課長はコーヒーを飲み干すと顔をしかめながら言った。
 「まぁそう言うな。せっかく予算がついたけん使ってくれ。こないだ入社したばっかりの新人やけん、最初は使えんかもしれんけど」
 そして課長は時計を見上げて、「もう来ると思うちゃけどね」と言った。
 新人が入ったとは全然知らなかった。しかもこんな時期だから中途採用だろう。上のほうのお偉いさんのコネかな?まぁ俺にとってはどうでもいいことだと思った。

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千の灯火(ともしび) 第3回

 詳細な打ち合わせに入ろうとしたところで、威勢のいい挨拶とともに会議室のドアが開いた。カメラマンの高尾だった。高尾は大学からの友人で一緒にこの会社に入った。大学の頃から写真の腕はあったから入社してからすぐに認められて、今では社内で彼の右に出るものはいない。
 「おぉ、おはよう。ちょうど今から打ち合わせ始めるとこやけん」
 課長は高尾に座るように椅子を指した。
 「千如寺でしょ?撮りがいがありますねぇ。内田も腕がなるやろう?あの寺はネタには困らんけんね」
 「高尾も千如寺知っとったん?」
 俺は意外な感じがした。
 「知っとるくさ。紅葉がきれいかろうが?何回か写真撮りに行ったよ」
 「おぉそうか、内田も高尾も行ったことあるなら話が早いな。今回の企画はちょっと気合入れてやってくれよ。なんせ一年がかりやけん」
 課長はコピーした書類を俺と高尾に渡した。
 「五回のシリーズの内容だけ指示しとくけん、後の細かいところは内田と高尾と新人さんで決めてくれ」
 「新人さん?中途採用ですか?」
 高尾も俺と同じことを思ったらしい。
 「そう。遠田さんていうけん。二十八歳独身。長身で美人ばい」
 「女性ですか?ほぉ」
 嬉しそうな高尾。こいつは学生の頃からわかりやすいやつだった。
 「もうすぐ来るけど、それはいいとして内容やけど、五回っていうのは、千如寺に関する『歴史』『文化財』『行事』『自然』それとまとめとして『総括』ね。『総括』は最初に持ってきて序章みたいな感じにしてもいいし、最後に持ってきてまとめにしてもいいし、そのへんは任せるけん」
 「わかりました」
 俺は課長の話を聞きながら既に構想が頭の中で広がっていった。
 「そういう内容で進めてもらえばいいけん。後は内田の好きなようにしてくれ。高尾が必要な時はどんどん使ってくれ」
 「俺も腕がなるばい。いっちょいい仕事しましょうかね」
 高尾も張り切っている様子だった。
 「そしたら俺は別の会議があるけん、行くよ。なんか質問ない?」
 俺と高尾は首を振った。
 「OK。そしたら頼むね」
 そう言って課長が会議室を出ようとしたところに、開いたドアから長身の女性が入って来た。
 「おはようございます」
 「お、来たね。この子が遠田さんやけん。よろしくね。こっちがライターの内田。こっちがカメラマンの高尾」
 「よろしくお願いします」
 かわいくお辞儀する彼女を見て高尾はすぐににこやかに反応した。
 「こちらこそよろしく。今から内田と打ち合わせするけん、座らんね。へー、課長が美人て言ったけどその通りやね。中途で入ったと?」
 「そうです。前職が八月末までの出勤で」
 「何しよったと?聞いていいとかいなこんなこと?」
 「別にいいですよ。キャビン・アテンダントです」
 「キャビン?」
 「こいつにはスチュワーデスて言わんと通じらんよ」
 俺が横槍を入れると高尾は不思議そうな顔をして言った。
 「そうなん?スッチーてキャビンなんとかて言うと?へー知らんかった」
 彼女は俺と高尾のやりとりを微笑みながら眺めていた。課長はその様子を確かめてから静かに会議室から出て行った。
 高尾は彼女に興味津々らしく、質問攻めが始まった。
 「どうりでスタイルいいもんね。でもなんでこの業界に入ったと?給料はむこうのほうがよかろうもん」
 「私、本当はライターになりたかったんです。学生の頃、出版社でバイトしたことあって、この業界が初めてっていうわけではないんです」
 「へー、じゃぁ内田が先生やん。よぉーっと習わんね。こいつも面白いやつやけん」
 「はい。よろしくお願いします」
 急に俺のほうを向いてお辞儀されたんでちょっととまどった。とりあえず俺も頭を下げた。高尾は嬉しそうに言った。
 「いいねぇ。これから一年間、三人で楽しくやろうや」
 俺の覚えている限り常に陽気な高尾の性格がうらやましかった。こいつにとっては毎日が楽しいのだろうな。俺には高尾みたいなやつがそばにいてくれることが一番かもしれないと思った。こいつと馬鹿な話をしている時だけはかつての俺に戻れるような気がした。
 さて、悲しみが一休みしている間にどんどん仕事にはまっていこう。俺は高尾と彼女の会話がとぎれたところで二人に打ち合わせしようと言った。

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千の灯火(ともしび) 第4回

 せつないとはそもそもどういう意味だろう?辞書で調べてみた。「寂しさ、悲しさ、恋しさで胸がしめつけられる気持ち」「深く心を寄せている」「苦しい」・・・なるほど、まさに絶妙な表現なんだ。俺の状態を表現するのにこれ以上の言葉はなかった。
 その日は高尾と遠田を連れて「雷山千如寺」へ挨拶に行く予定になっていた。アポイントはとってある。三人で会社の車で行くことになっていた。高尾が遅刻しないか心配だった。
 遠田が入社して二日が経過したが、彼女は俺のプライベートに関することを一切質問しなかった。おそらく課長に俺の事情を聞いたんだろう。新人にまで気を使わせて申し訳ない気がした。
 会社への道のり、通勤の車が多い三号線を避けて、都市高速道路の下を通る道をいつも選ぶ。こっちだと十分は短縮できた。福岡サンパレスの前に出るとそこから長浜通りに入り、大手門へ。もう目を閉じていても辿り着けそうなくらい何度も通った道。時々千秋が「天神まで乗せて」と助手席に座った。彼女が勤めていた旅行代理店は博多駅の近くにあった。いつもJRで出勤していたが天気が悪い日は助手席にいた。俺の車の助手席。そこは常に彼女の予約席。そうだ、まだ長い髪の毛落ちてないかな。あるとすれば彼女しか考えられない。その髪の毛のDNAで彼女をクローン再生するか・・・。
 下らない思考を繰り返す間に会社に着いた。高尾と遠田は準備ができていたのですぐに会社の車で出発した。高尾が後部座席に、遠田が助手席に座った。
 「千如寺までどれくらいかかりますか?」
 遠田が質問して来て俺は我にかえった。
 「え?あぁ。そうねぇ、都市高速で行くけん三十分くらいかな」
 「そんなに近いんですか?」
 「いや、近くないけど都市高速と有料道路を乗り継いだら、すぐ近くまで行けると。普通の道で行ったら結構かかるよ」
 「ふぅん」
 高尾は後部座席から顔を出して会話に入って来た。
 「遠田さん、初めて行くと?」
 「はい。私雷山てすごい遠いイメージがあったんで」
 「みんなそう言うよね。今は高速があるけん、逆に高速がない福岡市内を移動するよりよっぽど近いよ」
 「高尾は何回くらい行ったことあると?」
 俺はルームミラーに写る高尾に聞いた。
 「何回行ったかいな?もうかなり行ったよ。大楓が紅葉する頃は毎年行くしね。あれが真っ赤になる時はすごかよ。それとか新緑の頃もいいしね。あとは池があるんやけどそこもいいし」
 「心字庭園やろ?」
 「そうそう」
 「なんですか?しんじって?」
 「心っていう字で心字よ。池の形がね、心っていう形になっとると」
 「へー、すごいですね」
 遠田の反応が嬉しいのか高尾がまた調子に乗り始めた。
 「その池をぼぉーっと眺めるのもいいよ。あの場所は多分、マイナスイオンでまくりやろうね。あとはずーっと階段上っていった所にある観音堂に、でっかい菩薩像があるよ。そりゃすごいよ。初めて見た時はたまげたね。えーと、内田、なんていう仏像やった?」
 「十一面千手千眼観世音菩薩」
 「そうそう。それ。お前そういうのよぉ覚えるよね。遠田さんね、歴史と芸術に関しては内田に聞いたらいいよ。ほんと詳しいよ」
 「そうなんですか」
 遠田が俺の方をちらっと見たが俺は肩をすくめただけで何も言わなかった。
 「あと、ほら、あれなんやった?大きな観音像の裏手にいろんな仏像がずらっと並んでる・・・」
 「眷属二十八部衆」
 「ほらね?すぐ出てくるやろ?内田のことやけん、あの二十八の仏像の名前全部言えるっちゃない?」
 「・・・」
 「絶対言えるはず。言うのが面倒くさいけん言わんのやろ?」
 高尾はいつもこんな調子でしゃべりっぱなしだった。そのおかげで俺が遠田に話しかけないで済むから助かるとその時は思った。

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千の灯火(ともしび) 第5回

 前原市にある雷山の標高は九五五・四五メートル。雷山千如寺はその中腹にある。歴史は奈良時代にまで遡ると言われている。おそらく九州で最も古い寺なのではないだろうか?考えてみればそんなすごいお寺の住職と懇意にさせてもらっているというのはすごいことなのかもしれない。俺が初めてここを訪れてからもう何年になるだろう?今では住職のご家族やお弟子さんたちともすっかり仲良くなってしまった。俺が行くといつも暖かく迎えてくれた。
 車を降りて三門をくぐるとあの大楓の貫禄ある姿が視界に飛び込んできた。その大きさに遠田は感動している様子だった。
 「これ、紅葉したらほんとにすごいでしょうね」
 「そらすごいよ。みんな写真撮りに来るよ。九州の名所として何回もカレンダーになった有名な楓よ」
 楽しそうにしている遠田の面倒は高尾に見てもらうことにして、俺は先に住職を探した。売店の横の入口から声をかけると奥さんが出て来られた。
 「あ、内田さん、どうもいつもお世話になります。住職は今、上の観音堂にいますので呼んでまいります。あがってお待ち下さい」
 「すいません」
 俺はまだ外にいる高尾と遠田を呼んだ。奥さんが俺たち三人を奥の座敷に案内した後、住職を呼びに行った。
 俺たちが通された座敷からは広縁を隔てて心字庭園が見渡せた。今も覚えているが俺が二回目にここを訪れた時に住職がお昼を御馳走してくれて、俺はこの座敷で池を見ながら精進料理を頂いた。まるで高級料亭のような待遇に感動したものだった。
 「ほら、これが心字庭園ばい。こことここが点々たい。こんな感じで心みたいやろ?」
 また高尾が説明していた。重宝するやつだ。
 「いいですねー!私今かなり感激しています」
 高尾は遠田が喜ぶのが自分の手柄のようににこやかに微笑んでいた。こいつ多分遠田のこと気に入ったなと俺は感じた。自分の気持ちを隠しておくなんてできないやつだからすぐ態度に現れていた。
 しばらくして北村住職が座敷に入って来た。
 「やぁ内田さん、ご無沙汰してます。いやいや、なんか慌しくて申し訳ないです」
 「すいません、今回はお電話でお話した件でいろいろとお世話になります」
 「いえいえ。うちのお寺を特集して頂けるとは光栄です。是非よろしくお願いします」
 「こちらこそよろしくお願いします。和尚さん、彼がカメラマンの高尾です。彼女はアシスタントの遠田です」
 二人は頭を下げた。
 「住職の北村です。内田さんにはいつもお世話になってます」
 北村住職は気さくな方でいつも優しさにあふれる温和な笑顔を絶やすことがなかった。宗教の世界において己を鍛える人々はみなこういうふうに優しくなれるのだろうか?きっと多くの人が住職の優しさに救われたことだろうと思った。すがってくる人と一緒に苦しむこと、それは自分の仕事の中で最も重要な部分であるといつか言われていた。住職は俺の悲しみも一緒に背負ってくれた。この人がいなければ俺は多分もっと荒れていたことだろう。住職は俺にとってまさに最後にすがるべき砦だった。
 「街はまだ暑いですけど、ここは涼しいですね。やっぱりだいぶ高いからですかね?」
 高尾が庭からくる涼しい風を感じて言った。
 「平地からするとだいぶ高い位置にありますから、三度くらいは違うでしょうね」
 「いいなぁ。ここに避暑に来たいですよ」
 「どうぞどうぞ。蚊もあんまりいませんし、快適ですよ。ただし冬はつらいですけどね。ここだけ雪国になりますよ。はははは」
 遠田は好奇心に満ち溢れたまなざしで床の間のかけじくやら、襖絵を眺めまわしていた。そんな彼女に気付いた住職が言った。
 「遠田さんはここは初めてですか?」
 「はい。もうさっきからすごい感激してます」
 「上の観音堂は行かれました?」
 「いいえ、まだです」
 「それなら後でご案内しましょう」
 「ありがとうございます」
 高尾が横から割り込んだ・
 「でかくてびっくりするよ」
 俺は早く住職との打ち合わせに入りたかったので、今回の企画書を住職に渡して、「じゃぁ早速ですが打ち合わせに入っていいですか?」と言った。

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千の灯火(ともしび) 第6回

 打ち合わせが終わった後、住職の案内で観音堂に上がった。渡り廊下状になった木の階段を登っていくと上から心字庭園と、さっきまでいた座敷が見えた。遠田は持参したデジタルカメラで何枚も写真を撮っていた。高尾がアングルのアドバイスをしていた。
 観音堂には一メートルくらいの壇があって、正面と両側に上り口がある。俺たちは正面に向かって右側のほうに案内された。そして五メートルはある大きな木戸の前に三人並んで正座した。住職はおもむろに大きな太鼓をたたき始める。するとお弟子さんが出てきてその大きな木戸を開ける。重厚に軋む音をたてて木戸が開くとあの千手千眼観世音菩薩が現れる。横を見るとかなり驚いている遠田の顔があった。思わず声を上げそうな様子だったが厳粛な雰囲気だったので我慢しているのがわかった。
 住職は短い御経を唱えた後、説明してくれた。遠田は真剣なまなざしで観音像を見上げていた。
 「本尊様です。十一面千手千眼観世音菩薩というのが正式な名称です。重要文化財に指定されています。高さは約四・六メートルあります。成務天皇四十八年、西暦で言うと一四八にインドの僧、清賀上人が一刀三礼して謹刻したと伝えられています。十一面というのは、頭をご覧頂くとわかりますが、小さい顔がたくさんありますね。それと千手というのは後にたくさん手のひらがついています。その手のひらをよく見るとそれぞれに眼がついています。それで千手千眼になります」
 「すごい・・・」
 遠田は言葉もない様子だった。
 「その両側にあるのが持国天の像と多聞天の像です。高さは約一・七メートル。この二天像は以前福岡市博物館で展覧会が開かれた際に解体修理が行われましたが、多聞天像の中から銘文が見つかり、正応四年、西暦一二九一年に作られたということがわかりました。それが見つかった時は大騒ぎでした。仏師さんから電話がありましてね。その頃はまだ私の父が存命で、先代の住職をしておりましたが大変喜びましてね」
 「二天像も文化財ですか?」
 ずっと住職の説明に聞き入っていた遠田だったが、好奇心にはちきれそうな表情で初めて質問した。
 「二天像は福岡県指定文化財です。これくらいの大きさだと運搬が可能なのでこの二つはあちこちの展覧会にちょくちょく登場しています。でも運び出すのは一苦労ですけどね。内田さんにもお手伝いして頂いたことがありましたね」
 遠田の視線は急に俺のほうに向いた。どうなんだ?という表情だった。
 「あの時は大変でしたね。運送会社も専門のスタッフが来ましたもんね」
 「どうやって運び出すんですか?」
 遠田は俺のほうを見て質問するから俺が答えた。
 「外せる部分は外して、全身に包帯みたいに布を巻いて担架で運び出すんよ」
 「なんか怪我人みたいですね」
 「病人より大事に運ばないけんとよ。ほんとにゆっくりゆっくりね。一日がかりの大仕事よ」
 住職は「じゃぁ裏にまわりましょうか」と俺たちを観音像の裏手に案内した。そこには高さ一メートルくらいの仏像が観音像の後方を守るようにずらりと並んでいた。
 「これが眷属二十八部衆です。二十八体並んでいます」
 「内田さん、二十八体全部名前言ってみて下さい」
 「言えんよ」
 「嘘ばっかり」
 遠田は子どものような表情で言った。彼女は今初めて俺に馴れ馴れしいセリフを言ったなと思った。
 観音像の裏手からまた別の通路があって、更に上の御堂へ続いていた。そこにはこの寺の開祖、清賀上人の像があった。御堂はかなり高い位置にあるのでここからの見晴らしもよかった。
 「これが清賀上人の像です」
 「日本人じゃなかったんですか?」
 「そうです。インドからはるばる来られたというふうに伝えられています」
 「当時は命がけの旅でしょうね」
 「そうでしょうね。どういうルートをたどって来られたのかわかりませんけど、おそらく何年もかかったんじゃないでしょうかね」
 住職と遠田の会話が続く間、俺と高尾は付き人みたいな状態だった。遠田がこうやって興味を持ってくれることは仕事にもプラスになるからいいことではあるが、俺にとっては知っていることばかりなので少し退屈した。

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千の灯火(ともしび) 第7回

 いつも仕事は六時に終わった。スケジュールが逼迫しない限り残業はしなかった。、残業代は出ないのでほとんどの社員は定時で帰った。また会社もそうするように奨励していた。思えばいい会社に入ったもんだ。地方の中小企業なんてサービス残業も義務のところが多かったから。
 会社が大手門にあるので地下鉄通勤をする社員が多かった。赤坂駅と大濠公園駅のちょうど中間くらいなのでどちらからも乗れた。高尾や瀬戸山課長は赤坂駅から乗る。だが週に一回か二回は赤坂駅を通り越して大名の飲み屋街に入って行った。俺もかつてはそのうちの一人だったが、千秋のことがあって以来、すぐに帰るようにしていた。車通勤なので酒が飲めないというのもあるが、飲みに行くと必ず慰められるし、涙もろくなるからだんだん酒の席から遠ざかるようになっていった。
遠田の歓迎会が彼女が入社して最初の週末にあったがそれも行かなかった。
 雷山千如寺に挨拶に行ってからとにかく資料集めに走った。その日も帰りに本屋に寄る予定にしていた。駐車場で車に乗ろうとしたところに遠田が近づいて来た。
 「内田さん、もう帰るんですか?」
 「帰るよ。ちょっと本屋に寄ってからね」
 「私も一緒に行っていいですか?本屋に行きたいんで」
 「家どこだっけ?」
 「西新です」
 「じゃぁ反対やん」
 自分で言っておきながらちょっと冷たかったかなと思った。
 「・・・どこの本屋に行くんですか?」
 「博多駅の」
 「じゃぁ行きましょう。私地下鉄で帰りますから」
 「いいよ」
 方向が違うのに一緒に行きたがるのは何か個人的に聞きたいことか話したいことがあるのだろうと推測できた。千秋のことじゃなければいいがと思った。
 「わー、かっこいい。これなんていう車ですか?」
 「セリカだよ」
 「高いんでしょ?」
 「いや、中古だよ」
 「あ、マニュアルですか?」
 「そう。今時珍しいやろ?だいぶ探したよ」
 「車好きなんですね」
 「うん。もう今は車は移動手段になってしまったけど、俺はやっぱ運転を楽しみたいんよね。だけん、マニュアルなんよ」
 「これ速いですか?」
 「速いよ」
 「スポーツカーにしては乗り心地がいいですね」
 「シートがいいけんね」
 「快適ですね。わー、目線が低い。すごーい」
 「すごーいって、こないだ千如寺行った時に乗ったろうもん」
 「あの時は会社の車でしたよ。覚えてないんですか?」
 「え?あ、そうか」
 「これで千如寺さん行ったならもっと私はしゃいでますよ」
 運転しているから彼女の表情は見ていなかったが、声がすごく楽しそうに車内に響いていた。
 「そしたら今度ドライブにでも行くか?」
 「ほんとですか!?」
 俺は思わず出た自分の言葉に焦った。
 「行きましょう!いつ行きます?」
 つい人を喜ばせることを口走ってしまうのは俺の悪い癖だった。
 「でもいく暇がないねぇ。いろいろ調べ物もあるし・・・」
 俺は慌てて防衛線を引いたが、
 「私は助手ですよ?一緒に手伝いますからドライブもしましょうよ」
 簡単に突破された。
 「うん・・・じゃ行くか・・・」
 諦めるよりしょうがなかった。
 「今度の日曜はどうですか?空いてます?」
 「日曜か・・・どうやったかいな?」
 何も予定はなかったが、 「あとでスケジュール調べてメールするけん」とひとまず問題を先送りした。
 「わかりました。じゃあメール待ってますね!」
 メールするつもりはさらさらなかった。

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千の灯火(ともしび) 第8回

 「あのぉ、私も買いたい本あるんですけど経費で落ちますかね?」
 「仕事で使う本なら落ちるよ」
 「やった。じゃ、買おう」
 「何買うの?」
 「仏教の行事について知っておきたいんで」
 「おぉ、いい心がけやね。千如寺でも『御経会』とか『千日観音祭』とかあるけん、そういうのあらかじめ意味を調べとくといいかもね」
 「はい。でも内田さんに教わったほうが早いかな」
 「まずは自分で調べる。それでわからないことがあったら俺に聞く」
 「はい」
 瀬戸山課長から遠田の教育も任されているけど、ちょっと気が重かった。でも高尾が何かと世話を焼いてくれているみたいだから教育も手伝って貰うことにした。あいつは遠田のことを気に入ったみたいで、喜んで引き受けてくれた。
 彼女は俺と二人になってもプライベートなことには一切触れてこなかった。やはり瀬戸山課長に事情を聞いたのだろう。彼女もそれなりに気を使ってくれているのかもしれないと思った。
 彼女はなぜキャビン・アテンダントを辞めたのだろう?聞いてみたい気もしたがそうなると俺の個人的なことも話す羽目になるかもしれないからやめておいた。
 俺は話しかけられないと話さない男に思われているだろうとは推測できた。
 「内田さんて無口ですよね」
 彼女のセリフでそれが確認できた。
 「そう?」
 「高尾さんはよく話すのに。二人は対照的で面白いですね」
 「俺も学生の頃とかはよくはしゃいだよ。年取って落ち着いてしまっただけよ」
 「まだ思い切り笑ってる内田さんは見たことないです」
 思い切り笑えるように早くなりたいのはやまやまだが。まだ時間かかりそうだった。いや、時間がかかってもいいからそうなれればいいとしみじみ思った。
 千秋と一緒にいた頃は確かに思い切り笑っていた。心の底から人生を楽しんでいた。彼女の存在は俺にとって絶対の安心感であったのかもしれない。母親と一緒にいる子どものように、何も心配しないでただ現実を楽しんでいられた。人間にとって精神的支柱を失うということは安心感を失うことと同じなのかもしれない。俺が毎日感じるのは悲しさや寂しさだけではないような気がした。不安?絶望?何かに怯えるような気持ちも混じっていることは確かだった。家で一人でいる時にそれを感じた。
 「どうしたんですか?黙っちゃって」
 「ん?いや、別に。じゃぁ遠田がなんか思い切り笑えるようなネタをくれよ。もう高尾のネタじゃ笑えんけん」
 「わかりました。なんかネタ探しときます」
 彼女は微笑んだ。運転しながらちらっと見たその笑顔は無邪気だった。
 「千如寺は、まず何から始めます?」
 「何からって?」
 仕事の話になったので俺は安心した。
 「歴史とか、文化財とか・・・」
 「うん。まずは歴史からいこうかね。北村住職にお借りした資料であらかたの歴史は把握できるけど、『元寇』とか『朝鮮出兵』とか『廃仏毀釈』とか、千如寺が関係した歴史的事件について詳しく書いてある資料もいるね」
 「インターネットで調べたらだめなんですか?」
 「いいよ。でもネットの情報はたまに信用できない時があるけん、確認のためにはやっぱり書籍が必要なんよ」
 「そうなんですか」
 「ウェブ上の情報って誰でもすぐに掲載できるやろ?あまりに手軽すぎるけんよく調べないで載せてる場合もあるんよね。その点、出版するということになると手間も時間もお金もかかるからみんな結構慎重になるんよね。情報もきちんと調べてから書くし」
 「そういう意味ではインターネットの情報ってまだまだなんですね」
 「過渡期にあるね。完全に信用を置くにはまだ早いよ」
 車は博多駅に着いて、俺たちは本屋に入った。

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千の灯火(ともしび) 第9回

 千秋はいつも寝る時に豚のぬいぐるみを抱いていた。子どもみたいに思われるかもしれないがこれには二人の思い出があった。二人で行った韓国旅行。南大門市場で偶然見つけたそのぬいぐるみが千秋に連れて行ってくれと語りかけたらしかった。ちょうどいい旅の思い出になるから買って来た。もっとも抱えて帰ってくるのはちょっと恥ずかしかったけど。それ以来、いつもベッドの上にぬいぐるみが座っていた。彼女が寝ていたベッドの左半分の枕のところで彼女が帰って来るのをじっと待っていた。
 夜に一人になるのはとても耐えられなかった。だからと言って他の誰かがいてくれれば解決するという問題でもなかった。この寂寞の恐ろしさ・・・。頭がおかしくなりそうだった。夜の到来も朝同様に怖かった。
 家中をなるべく明るくする。全部の部屋の電気をつけて、音楽を流す。彼女があまり聞かなかったCDを選ぶ。見ないけどテレビもつける。気が紛れるものを探す・・・泣きながら寝るのには飽き飽きしていた。
 仕事のことばかり考えるようにした。明日の予定・・・千如寺の北村住職のインタビュー。その後は百道の図書館に寄って調べ物。高尾は別の仕事で留守だから遠田と二人。そうなるとまたいろいろ聞かれるだろう。千秋のことだけは勘弁して欲しかった。
 それにしても遠田はなんでキャビン・アテンダントを辞めたのだろう?ライターになりたいと言っていた彼女の表情は明らかに「ここは適当に答えておこう」という感じだった。他人のそういうしぐさや表情がよくわかるようになった。人間は傷ついて敏感になっていくのだろうか?何か彼女も訳ありなのかも知れないという疑惑が一瞬かすめた。
 俺は早く眠りにつくために読みかけていた本を探した。鈴木三重吉の「桑の実」。どこに置いたのか、すぐには見つからなかった。あちこち探しているところに携帯電話が鳴った。
 「もしもし」
 「あ、あの、遠田です」
 「おぉ。お疲れさん。どうした?」
 「明日って千如寺さん行きますよね?」
 「行くよ」
 「何時からでしたっけ?」
 「先方十時の約束やけん、会社を九時過ぎくらいに出るかな」
 「高尾さんは?」
 「高尾は別件が入っとるけん来んよ。明日は打ち合わせだけやけん、別に高尾は来んでもいいし」
 「そうですか。えーと、はい、わかりました・・・」
 「じゃ、明日ね」
 「はい。おやすみなさい」
 高尾が来るかどうか気になるというのは何を意味するのか?電話のことを高尾に話したら喜ぶだろうと思った。俺はすぐに高尾にメールした。
 “今メールしていいか?”
 すぐに返事が来た。
 “いいぞ。なんや?”
 “今、遠田から電話があったぞ”
 “なんて?”
 “明日の千如寺の取材にお前が来るかどうか聞かれたぞ”
 “マジで?”
 “マジで”
 “それってどうなんかな?”
 “どうなんやろう?お前のことが気になるんやないか?”
 “そうなんかいな?あの子マジかわいくない?”
 “かわいいね。お前のタイプやろ?”
 “ストライクゾーンど真ん中”
 “飲みに誘ったりしたか?”
 “まだしてない。チャンスかな?”
 “週末誘ってみぃ。”
 “了解!うっしゃー!やるばい!”
 “がんばれ!”
 “お前も来るか?”
 “なんで俺がよ!二人だけで行ってこんか”
 “なんか緊張するな”
 “チャンスの神様は・・・?”
 “前髪しかないやろ?”
 “そうそう”
 俺は高尾の健闘を祈った。

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千の灯火(ともしび) 第10回

 翌日、俺は遠田をセリカの助手席に乗せて雷山千如寺に向かった。窓を半分開けて走ると風が心地よかった。どこからくるのか、かすかに金木犀の香りを感じた。
遠田は前回千如寺を訪問した時よりも心なしかはしゃいでいた。
 「わー、今日はセリカで行くんですね」
「うん。帰りに図書館寄って、それから直帰したいけん」
「なんか遊びに行くみたい。そうそう、内田さんドライブの約束覚えてますよね?まさか忘れてませんよね?」
 「ん?うん。覚えとるよ」
 俺は言われて思い出した。
 「スケジュール調べてメールするって言ってメールくれないし」
 「あ、いやいや、まだ予定がはっきりせんけん・・・」
 「いつはっきりするんですか?」
 「それもまだわからん」
 「私今度の日曜空いてますから。一応言っておきますね」
 「うん・・・」
 うやむやにできそうにない雰囲気だった。何事もはっきりさせたいタイプかもしれないと思った。俺はそういうやつは苦手だった。
 「本屋でいい本見つかった?」
 俺は話題を変えた。
 「あったんですけど、高くて。今日図書館にも行くんでしょ?その時に探して借ります」
 「遠田は西新やから図書館近くていいね」
 「そんなに近くはないんですけど、自転車で行けばすぐの距離です」
 「図書館よく行くと?」
 「行きます。私結構本読むの好きなんです」
 「へー。何読むと?」
 「純文学が好きです。明治から昭和初期くらいまでの」
 「ほぉ。しぶいね。例えば誰?」
 「堀辰雄とか」
「風立ちぬ・・・か」
 「いざ生きめやも」
 「文学少女なん?」
 「かつては。今は文学OLです」
 こいつは話せるかもしれないと思った。俺は学生の頃から文学きちがいだった?
 「内田さんは文学小説嫌いですか?」
 「俺は三度の飯より文学小説が好きなんよ」
 「え?そうなんですか?」
 満面の笑顔だった。同類を見つけた時の喜びの表情にあふれていた。
 「誰が好きですか?」
 「横光利一とか、国木田独歩とか」
 「国木田独歩は知ってますけど、よこみつ・・・って何書いた人ですか?」
 「横光利一は『蝿』とか『日輪』とか『上海』とか『春は馬車に乗って』とか・・・知らん?」
 「知りません。有名な人なんですか?私もたいがいいろんな人読みましたけど・・・」
 「横光利一は新感覚派の旗手で川端康成が自分よりもすごいと認めた人よ」
 「へー、そんなすごい人知らんとかダメですね」
 「いやいや、無理ないよ。戦争中に国粋主義的な言動や活動が災いしてね、戦後に文壇の戦犯て言われて出版社からも締め出しをくらったんよ。天才作家なのに晩年は不遇の時を過ごして死ぬんよ。まぁそんなこんなで静かに忘れられていったんよ。でも最近また再評価されよるみたいやけどね」
 なんかすごい真剣な眼で俺を見ていた。かなり食いついた様子だった。
 「なんかすごくその人の作品読みたくなりました」
 「普通の本屋にはあんまり置いてないよ。古本屋とかで探したほうがいいよ」
 「内田さん家に持ってます?」
 「あるよ」
 「貸して下さい」
 人に本を貸すのはあまり好きじゃなかった。何回か返ってこなかったことがあったから。
 「すぐ返しますから」
 「いいよ。今度持って来るよ」
 うまく断れず、場の雰囲気に流されてしまった。
 セリカは都市高速から有料道路を経て前原に下りた。そこから田舎道を五分ほど走ると雷山へのなだらかな坂が見えてきた。まわりののどかな風景にはたよりなく飛び交う赤とんぼが似合っていた。セリカは一気に坂を登った。

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