えしぇ蔵小説集

福岡ESEグルメのえしぇ蔵の小説集です。それなりにがんばってるつもりです。

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黄色い朝

 不幸の足音は聞こえない。気付いた時にはすぐ後ろに邪な笑みを浮かべて立っている。あ、と思った時にはしっかりと肩に手をかけられている。到底逃れることなどできない。背負わされた重荷に苦しめられる。それは死ぬまで降ろせない場合もある。人を鍛えるためなのか、試みるためなのか、神の手によるものなのか、己の引き寄せたものなのか、不幸は人の数だけ、あるいはそれ以上用意されて人のゆくてに立ちはだかっている。

   一

 意識して最初にその存在に気付いたのは、私が非常勤講師を勤める専門学校で昼食を食べている時だった。
 福岡城のお堀沿いの桜並木に面した専門学校の二階に職員室があり、春陽の心地よい四月の上旬のある日の昼休み、私はその窓から見頃になった桜を見下ろしていた。
 学校の事務と講師を掛け持ちする伊東先生が職員室のドアを開け、顔だけ出して、
 「桐谷先生、ちょっと早めに上に来てもらえんですか?一台調子悪いけん」
 と言ったので私は急いで昼を食べることにした。いつもは妻が弁当を持たせてくれるが、四月に入ってから妻は一ヶ月の予定で韓国に短期留学していたので、しばらくは昼の心配を自分でしなければならなかった。その日は学校に来る途中でパンを買っておいたのでそれを食べ始めたが、二つめの固い練乳フランスをかじった時だった。中には白い練乳しか入ってないはずなのに、ふと見るとかじった部分が赤くなっていた。それは血だった。慌てて鏡を見ると下唇の左側からゆっくりと出血していた。ティッシュで拭うとすぐに止まったが、出血した部分が少し腫れていることに気付いた。数日前に食事の時に噛んでしまったからそのせいかなと思い、あまり深くは考えずに急いで食べ終えて五階にあるパソコンルームに上がった。
 その専門学校では主に英語を教えていたが、就職に役立つということでパソコンの授業もカリキュラムにいれていた。私はパソコンの講師として週に三日通っていた。
 パソコンルームは五階に二つあった。生徒を二組に分けて、一つを私が、もう一つを伊東先生が指導していた。私はこの学校の講師の他にパソコンのメンテナンスやWEBデザインなどの仕事もしていたので、学校のパソコンが調子悪い時などよく伊東先生に頼まれて修理していた。
 私がパソコンルームに入ると伊東先生は「八番です」と言って窓側の一番後ろのパソコンを指した。
 「またこれですか」
 「もうそれダメですね。校長に言って買い替えてもらいます」
 伊東先生はそう言い残して隣のパソコンルームへ移動しようとしたが、ふと私のほうを振り向いて不審げな顔で言った。
 「先生、唇どうしたんですか?」
 「これでしょ?さっきちょっと血が出よったとですけど。なんでしょうね」
 「悪いことばっかりしよるちゃないですか?ははははは!」
 廊下に笑い声を響かせて伊東先生は出て行った。

   二

 私は翌日から毎朝鏡で唇を観察するようになった。やはり少し腫れていた。自分が気にしすぎるせいかなと思ったりもしたが、正常な右側と比較すれば尋常ではないのがすぐにわかる。確かに数日前に誤って噛んだことはあったが、そういうことは初めてではないので今回に限って腫れるというのは納得がいかなかった。黴菌でも入ったのだろうか?鏡の前でいろいろと考えは巡るが、一時的なものかもしれないという希望的観測に至ったところで、それ以上考えないように努めた。そうして数日が経過した。
 葉桜が濃度の増した木陰をつくりはじめる四月の末に妻の早紀が帰国した。空港に迎えに行った時には話題にしなかったが、自宅に戻って正面から私の顔を見た早紀がやはり気付いて、「あれ?どうしたと?唇腫れとるやん」と言った。早紀のいなかった一ヵ月で腫れがいかに急激に大きくなったかがわかる。意識し始めてから特に手は打っていなかったが、早紀の一言は私の足を病院へと向けることになった。

   三

 私はWEBデザインの仕事で様々な業種に顧客を持っていた。その中には病院もあり、懇意にしている先生も数名いた。都合のいいことに美容クリニックの先生もいたので電話でアポイントをとり、診てもらうことになった。
 小倉駅前の小野クリニックの小野先生は九州におけるレーザー治療のパイオニアで、特にレーザーによる腫瘍の治療に関しては他の模範となる存在だった。
 小野先生とはWEBの構築をきっかけに十年来のつきあいで、これまでも顔にできたしみの除去などで数回その秀でた医療技術の恩恵を受けていた。
 すぐに治療を受けようと思いつつも、スケジュールの調整がうまくつかず、暦は既に六月になっていた。唇の腫れは徐々に進行しているらしく、口の中にも腫れが出てきた。それでもまだ仕事の方を優先しがちだったが、ようやく午後の半日を空けることができたので早紀を連れて小倉へと向かった。電車を小倉駅で降りた時は小雨が降っていた。商店街を抜けて小倉城を右手に見ながら川沿いに歩くと小野クリニックの看板が見えた。
 「今日で見納めやね」
 早紀が私の少し緊張した横顔を見ながら言った。彼女は私の唇の腫れをたいしたことではないと認識しているらしく、幾分面白がっているふうであった。
 「レーザーで治ればね」
 「デジカメ持ってきたけ、写真撮っとこうよ」
 「治療前と治療後?」
 「そういえばしみとった時も写真に撮ったね」
 小野クリニックのドアを開け、受付を済ませると待合室のソファで少し待たされた。早紀は美容クリニックが初めてで、その清潔で優雅さも感じる内装やインテリアを珍しそうに見回していた。
 診察室から小野先生が顔を出して、「桐谷さん、どうぞ。お待たせしました」と言った。「はい」と言って立ち上がろうとする私の手をつかんで止めた早紀は、デジカメを取り出して唇の写真を撮った。
 「いい感じに撮れた。自分の唇見とかんでいい?これでさよならやね」
 治療室に入ると小野先生は私の唇を見てすぐに「あぁ、血管腫やね」と言った。傍にいた婦長も同じ意見だった。
 「レーザーあててみようか。内側も腫れとるけん、外側と内側と両方あてようか」
 私はすべて任せる腹で来ていたので「よろしくお願いします」と言うしかなかった。
 「じゃあ婦長、準備して」
 その日にすぐ治療するとは思っていなかった私が少しまごつくのを見て、小野先生は「大丈夫。五分で終わるよ」と言った。
 小野先生は手術はしないが治療をする部屋は病院の手術室のように様々な治療器具に囲まれ、天井からはあの大きな円盤状のライトが二つ覆いかぶさるようにさがっていた。
 治療台に横になると目を保護するために競泳用の水中眼鏡のようなものをつけられ、その上からさらにタオルを巻かれて一切の外界からの光が遮断された。小野先生は唇を仔細に観察した。左手には氷を包んだガーゼを持っていた。
 「レーザーがあたる瞬間ちょっとチクッとするけど大丈夫やけん。一瞬やけん。あてたとこが熱もつけん氷で冷しながらするね」
 小野先生は唇の特に腫れている部分を探しあてるとそこにペン状になった治療機器の先端を軽くあてた。ブザーを座布団で押さえ込んだような「グー」というくぐもった音が聞こえた次の瞬間、「バシ!」という鋭い音がして唇に一瞬痛みが走った。数本束ねた針で刺されたような感触だった。身体がビクッとなった。
 「痛かった?」
 「いえ、大丈夫です」
 「何箇所か打っとくけん」
 その後、「グー」という音の後に束ねた針の刺激というパターンが十数回繰り返された。レーザーを打つたびにその箇所に氷を包んだガーゼをあてて冷す。唇の内側はあまり痛みは感じなかったが、外側に打つ時は一瞬腹筋に力が入った。
 「よし、これで様子をみようかね。しばらくは腫れが大きくなるけど、一週間くらいでもどるけん。その後に小さくなっとるかどうかやね。僕としては手応えがあったような感じやったけどね」
 先生はそう言うと看護師に後の処置をまかせて治療室を出て行った。私はしばらくベッドの上で患部に氷をあてた状態のまま横になっていた。

   四

 小野先生の治療を受けて二日後、鏡で患部を見ている時に急に出血が始まった。最初にパンをかじった時に出血した時とは比べ物にならないほど勢いよく後から後から出て来た。あてたティッシュはすぐに真っ赤に滲んで使えなくなった。ティッシュでは何枚使っても止まらないのがわかったので、洗面台に水をはってあふれ出る血をそのままにした。唇からどくどくと血が落ちていく。貧血になるのではと不安になるほどの量だった。十五分ほどでようやく勢いが衰えてきたので、またティッシュでおさえて完全に止まるのを待った。小野先生が患部に汚血がたまっていると言っていたので、おそらくそれがレーザーをあてた箇所から一挙に噴き出てきたものと推測された。血が止まった後に唇を見るとかなり腫れが小さくなっていた。なるほどこうやって治っていくものなのかと一人合点して、私はこの件はほぼかたがついたものと判断し、心配事のリストの中での順位を下げた。
 その後、十日間ほど毎日出血した。それもいつ出血が始まるかわからないので幹部にガーゼをあててマスクをして過ごした。
 半月ほど経過すると出血しなくなった。腫れはかなり改善されていた。まだ若干残る腫れもいづれ消えるものと思い込んでいたが、日を追うごとに腫れは徐々に戻ってきて、治療から一ヶ月経過した時には治療前の状態に戻ってしまった。見る角度によってはむしろ治療前よりも大きくなったように感じられた。
 私の心配事のリストの順位はまた変わった。

   五

 私は六年間のサラリーマン生活を経て、二十九歳で独立した。ソフト開発やWEB作成、システム開発などでなんとか糊口をしのいで七年になる。専門学校の講師を引き受けてからはなかなか多忙を極めていた。
 日々たくさんの客と会うし、学校では生徒の前に立つ。当然誰しもが私の唇の腫れに気付く。「唇どうしたんですか?」「大丈夫ですか?」・・・・・・多い日は一日に五回は尋ねられた。その度に、これは血管腫という良性腫瘍であること、原因がわからないこと、現在レーザーで治療中であることを答えたが、それを毎日繰り返していると精神的な疲労を感じることも多くなってきた。
 私と会って正面から顔を見ているにも関らず何も言わない人もいる。それもまた余計な気配りのような気がして辛く感じられた。時折、この人は本当に気付いていないのかも?と思うこともあったが、自分で鏡を見ればそんなはずはないとすぐにわかる。
 私と会う人は一人残らず唇の腫れに気づき、それを心配する言葉をかけるべきなのか、気付いていないふりをするべきなのか、の選択に迫られているということがわかってからは人に会うことが億劫になり始めた。余計な気を使わせたくないし、同じ質問に答えることにも疲れていた。そんな日々は深夜に音もなく降る粉雪のように徐々に私の内側に薄い憂鬱の層を重ねていった。

   六

 腫瘍はレーザー治療を受ける前よりも若干膨らみを増した状態で年が明けた。正月休みが終わってすぐに小野先生に診てもらうことにした。
 今回、私は一人で行った。前回よりも期待度は薄く、気分もふさぎがちだったので一人のほうが気が楽だった。
 「前回ちょっと出力を弱めにしたけん、今回はちょっとパラメーターをかえて強くして打ってみようかね」
 小野先生の表情にも治療の効果が全くなかったことが納得いかないふうだった。
 「前回よりも痛くなりますか?」
 あの束ねた針の感触は唇にしっかりと残っていた。
 「いや、そう変わらんよ。大丈夫」
 そして前回と同じようにベッドに横になり、同じようにレーザーを打たれた。「グー」という音の後に襲ってくる束ねた針の刺激。先生は出力を強くしたと言っていたが、痛さは前回と同じくらいだった。だがもう今回までにして欲しいと思うほどの痛みは十分にあった。
 治療後の経過は前回と同じで、毎日出血する日がしばらく続いた後、腫瘍は一時的にしぼんだ。ただ今回はしぼんだ期間が比較的長かったので、私は今回はレーザーが効いたものと思い込んで有頂天になったが、それも数週間だけの喜びで、やがてまた徐々に元に戻っていった。

   七

 私は暇を見つけてはインターネットで自分の腫瘍について調べるようになった。そして、この腫瘍は正式には海綿状血管腫という名前であること、別名動脈畸形と呼ばれること、基本的には先天性だがまれに成人してから発症する場合があること、確実な治療法が見つかっていないこと、などがわかった。
 これらの結果から推測すると、実は先天的に血管が下唇の左側だけ血液がスムーズに流れない畸形であったものが、三十代後半になって血の流れが滞り、徐々に腫れていったということになる。
 私は自分の若い頃の写真を探し出して、唇の状態を見てみた。大学を卒業して間もない頃の写真を見ると、かすかに下唇の左端が黒くなっていた。結婚した頃の写真にもそれがあった。脱サラした頃の写真ではその部分の色がより黒くなっていた。
 早紀に訊くと、結婚前につきあっていた頃から下唇の端が黒いことには気付いていたという。ということはやはり先天的なもので、長年かけて徐々に大きくなってきたものが、去年の春に最後の仕上げとばかりに一挙に膨らんだということになりそうだった。
 そこまではわかっても、私にとって原因などどうでもよかった。気になるのは決定的な治療法がないことだった。それでは同じ症状の人たちはどうしているのだろうか?これもインターネットで調べてみると実に多くの人がこの不治の病で悩んでいることがわかった。私の場合は痛みは全くなかったが、激しい痛みを伴うという人も多く、毎日が試練で生きていくことに疲れたという人の手記を見ると胸塞がれる思いだった。同じ症状の人が意見や情報を交換しあうサイトもあり、そこでそれぞれの治療の記録を公表しあっていたが、この病院のこの治療できれいに治りましたという記録は一つもなかった。
 私はここにいたって初めて自分が抱えている問題の大きさを知り、背筋に寒気が走った。「不治の病」という言葉がまさか自分に関係することになろうとは。この衝撃はそれまでの人生で最も大きな重荷を自分の背中に勢いつけて乗せられたように感じられた。自分は死ぬまで背もまっすぐに伸ばせないような重みを背負って歩いていかないといけないのだろうか?振り向けばすぐ後ろにいた不幸が微笑みながら帽子をとってお辞儀している。「これからはずっと一緒ですよ」そう言っているのが聞こえた。

   八

 暦は六月になった。レーザー治療の効果が表れずに気落ちしている私を元気づけようと、小野先生が食事に誘ってくれた。小野先生の後輩になるという若い医者が同席した。小野先生は私の唇を後輩に示して意見を訊いたが、レーザーでは難しいのではないかという見解だった。むしろ思い切って手術してみてはどうかと勧められた。それには腕のいい皮膚科の先生がいるということで、南区の高徳会病院を紹介された。小野先生は手術するには危険性が高い部分なのであまり賛意を示してはいなかった。私はとりあえず診察だけ受けて、それから手術に踏み切るかどうかを考えるということにした。
 数日後、私はすぐに紹介状を持って高徳会病院の受付に立った。この病院は総合病院であらゆる科があり、広い待合室は人であふれていた。私は診察の前にMRIを撮影するように言われ、放射線科に誘導された。身体を固定されて洞窟のような巨大な機械の中に入れられるのは、閉所恐怖症気味の私には少し辛かった。唇の部分を撮影するので顔は特に頑丈に固定され、指示があるまで絶対につばを飲み込んではいけないと言われた。撮影中は洞窟の中で様々な機械音が鳴り響き、人体実験でもされているような不気味さに不安を感じないではいられなかった。何回かに分けて撮影が行われ、二十分ほどで全て終わった。
 その後、皮膚科の診察室に呼ばれた。撮影の結果を見ながら皮膚科の先生が今の状態を説明してくれた。血管腫がかなり大きくなっており、おそらく今後も肥大化は続くであろうということで、手術することを勧められた。ただしそれには条件がついた。再発の可能性があることと、腫瘍を除去した後の唇の形が元通りになることは保証できないということだった。
 手術をすべきかどうかはしばらく私を悩ませた。最悪の場合は手術後に唇の形が変形し、さらに時間をおいて腫瘍までが再発するということになる。そのために時間とお金をかけるべきなのか?入院は二週間は必要で、費用もそれなりにかかる。そこまでしても確かな結果が得られるかどうかがわからないのであれば、やはりなにか他の方法を探すべきではないか?散々試行錯誤を繰り返した後に、私はそういう結論に達し、また小野先生の「手術は危険」という言葉も耳に残っていたので手術は見送ることにした。

   九

 私は憂鬱なまま夏を過し、秋を迎え、暦は十月になっていた。その頃には仕事が終わって帰宅してからはインターネットで治療法を探すということが習慣となっていたが、ある日、唇の血管腫を二例治癒させた木下という医者の記事を見つけた。その治療法はアルコール硬化療法といって、患部にアルコールの薬剤を針で注入し、異常な血管を硬化させて血流を止め、腫瘍を収縮させるというものだった。実際に治癒した患者の患部の写真も掲載されていたが、確かにきれいに治っていた。その写真を見た瞬間の私は大海に漂流する筏の上で遠い水平線上に陸地を見たように飛び上がって喜んだ。そしてすぐに早紀を呼んでその記事を見せた。
 「すごいね。この人治っとるね。よかったたい。行ってみんね」
 「なんでも試してみんとね」
 そしてすぐにその木下先生あてに自分の症状とこれまでの治療経過を書いたメールを送った。
 翌日、木下先生から返ってきた返事には、
 「唇の血管腫の治療はこれまで二人成功しています。是非ご来院下さい」
 ということだった。すぐに予約を入れて翌週には木下クリニックの待合室にいた。
 私が長椅子に俯いてかけているところに婦長が近づいてきて、「桐谷さんですか?」と訊かれた。
 「はい」
 「婦長の山根と申します。ちょっと診せて頂いていいですか?」
 私は下唇がよく見えるように顔を上げた。
 「あぁ血管腫ですね。どんな治療をされました?」
 「レーザー治療を何度か。効果はなかったです。高徳会病院で手術してはどうかと言われましたけど、結果は保証せんていう話やったけん、やめときました」
 「わかりました。もう少しでお呼びしますんでもうちょっとお待ち下さい」
 そう言うと婦長は診察室に戻って行った。それから十五分ほど待たされた後に、私は診察室へ通された。メールで何度かやりとりをしていたためか、木下先生は旧知のようににこやかに私を迎えてくれた。
 「レーザー治療をされたそうですね」
 「はい」
 「治らんかったでしょ?」
 「はい。一時的には小さくなったとですけどまた元に戻りました」
 「うん。これはレーザーでは治りませんよ」
 自信ありげに言うと、木下先生は過去の二つの成功例の写真を私に見せた。
 「この人も唇にできてるでしょ?それがほら、治ってるでしょ?」
 「はい」
 「大丈夫。治りますよ」
 全く揺らぎを感じさせない自信に満ち溢れた表情で木下先生が言った時、私は背負ったものが少しふっと軽くなるのを感じた。先生の表情からはいささかも失敗するような気配は感じられず、あぁこれで治るんだという安心感が徐々に心の隅から湧いてくるようだった。
 「今日すぐに治療しますか?日を改めますか?」
 「今日お願いします」
 一刻も早く腫瘍と縁を切りたい私は勢い込んで答えた。
 「じゃぁ隣のベッドに横になって下さい」
 診察室とカーテンで仕切られたところに治療室があり、私はそこにあるベッドに横になった。
 「アルコールを注入して血管を固めますんで、唇のちょっと下の部分に注射しますね。ちょっと痛いですがいいですか?」
 「はい」
 煮るなり焼くなり、という心境だった。治るのならばどんな痛みにも耐えてみせるという覚悟は既に家を出る時からできていた。
 婦長が頭のところにいた。先生は左側に立ち、患部の少し下の部分に注射器の針をあてた。「それじゃいきますよ」というとかなり太い針の先がグッと皮膚に入ってくるのがわかった。その時の痛みは予想していた範囲だったが、その後に液が入ってくる時の痛みはかなり強かった。私の身体が痛みで硬直するのがわかったのか、婦長が両手で顔を支えて、「大丈夫ですよ」と言ってくれた。その言葉には遠い昔、夜中に目覚めて不安になった時に母親がすぐ傍で「大丈夫よ」と言った時の安心感に似ていた。その一言で確かに恐怖感は薄らいだ。
 「自分で唇触ってみて下さい」
 注射器を抜くと先生は私に鏡を与えながら言った。鏡には卵一つ分くらいに膨らんだ唇が映って私は一瞬ぎょっとした。
 「固くなっとるでしょ?これで血流がとまって腫れがひきます。今はアルコールが入っとるけん膨らんでますけど、二週間くらいでひきますよ。しばらくは食事がしにくいですけどね。流動食とかでなんとか我慢して下さい」
 もう治ったような口ぶりで話すので私の気持ちはどんどん軽くなっていった。
 支払いを済ませた後、薬局でマスクを買って患部の腫れを隠して帰宅した。マスクを外した私の顔を見て早紀は「わっ」と声に出して驚いた。それほどアルコールが入った唇は醜く腫れあがっていた。
 「それじゃご飯食べれんね」
 「流動食にしなさいって」
 「そうよね。しばらく大変やね」
 早紀があまりにじろじろと見るので私は食事の時以外は家でもマスクをするようにした。

   十

 一週間が経過しても玉子大の腫れはひかなかった。二週間とは言われていたがわずかでも小さくならないことに不安を覚えた私は木下先生にメールした。その返事が、「二週間で腫れがひく」、ではなく「二週間経過してから腫れが引き始める」、ということだった。なんだ自分の聞き違いか、全然小さくならないはずだと合点したが、あの時確かに先生は「二週間くらいでひく」と言ったのを後で思い出し、私の中に若干の不安がよぎったが、今はとにかく待つしかないと思った。
 二週間が経過し、確かに腫れは徐々にひき始めたがそのスピードはきわめて遅かった。三週間が過ぎた時点でまたメールした。
 「もう三週間になりますが腫れがあまりひきません。大丈夫でしょうか?」
 答えはとにかく待ちなさいということだった。毎日マスクをして外出し、食事は家では流動食、外ではパンを買って細かくちぎって口の右側から押し込むようにして食べた。腫れた部分はグロテスクで、鏡を見るのが嫌になった。
 四週間経過でようやくアルコール注入による腫れがかなりひいたが、それでも硬化療法をする前よりも大きい状態だった。いわば振り出しに戻ったというよりもさらに手前に戻っているわけで、これでは硬化療法を行った意味がない。私はまた不安になって木下先生にメールした。その返事は、「不安でしたら一度ご来院下さい」ということだった。もう数日様子を見て変化がなければ行ってみようと思った。
 その後、何日待っても腫れはそのままだった。木下先生に治療前よりも大きい状態で止まっていますという報告のメールをすると、「もう一度治療させて下さい。もちろん今回は無料で結構です」という返事が来た。そのメールの文面にはあきらかに先生のあせりが読み取れた。私は再び絶望の際に立った。
 かなりの痛みを伴う注射を打たれ、食事にも困るほどの腫れを抱えてまた一ヶ月以上も不便で不快な状態になるのは気乗りがしなかったし、もはやあまり期待感も持てなかったので二回目の治療は試さなかった。
 その後の経過を逐一メールで報告したが、返事が徐々に遅れがちになり、ついには返ってこなくなった。ホームページを見てみるとさすがに責任感の一端を表したのか、治癒に成功した記事は削除されていた。それを確認した私はもう木下先生の出番は終わったんだなと思った。

   十一

 硬化療法を受ける前よりも腫れがひどくなったのでその分だけでも元に戻したいと思った私は再び小野先生にレーザーをあててもらった。いつもの要領で数日出血が続いた後に見てみると腫れはなんとか硬化療法を受ける前の状態には戻っていた。
 ある日、私はマラソンをしている友人に中国人の鍼の先生を紹介してもらった。鍼治療で腫瘍が治るとは思わなかったが、もともと腰痛持ちだったし、憂鬱な状態が続くせいか、身体の調子も悪かったので週に一回月曜日の朝に通うことにした。
 初日は早紀と一緒に訪問した。東洋鍼灸院と表札のあるマンションの一室に入ると、そこは普通に家族が住むような世帯じみた雰囲気で、治療をする場所という感じはしなかった。通された部屋は奥の和室で、ベッドが六つ置かれていた。私はそのうちの一つに横になった。早紀が症状を細かく先生に説明してくれた。
 先生は常に笑顔をたやさない気さくな人で、名前は呂といった。日本に来てすでに二十五年。鍼灸の他に武術太極拳も極めていた。
 「東洋医学では患部を直接治療する前に、まず身体全体の調子を整えるヨ。そうしてゆっくり時間をかけて原因を探して、それをなくす治療をするヨ」
 呂先生の説明は非常に理にかなっていると思った。なにか理由があるから腫瘍ができるわけで、それをなくせば自然に治るという理論でいくと、時間はかかるが自然治癒力によって徐々に治り、治療痕が残らないということになる。思えば最も自然な治し方なのかもしれない。ここは一つこの先生に賭けてみようと私は思った。
 「慌てない。必ず治るから」
 呂先生は一年くらいかけてゆっくり治していきましょうと言った。治るのならば一年くらいはなんとか我慢できると思った。
 そうして毎週の鍼治療が始まった。

   十二

 鍼治療を始めて半年が経過した。暦は十一月に入っていた。呂先生は「だんだんよくなってる」というが、自宅で早紀に見せても変化は見られないと言うし、自分でも腫れが減ったとは思えなかった。
 腫瘍を相手に気力だけで踏ん張っていた私だったが、ここに至ってさすがに土俵際まで追い込まれた感があった。効果が出るのを待ちきれなくなり、熱した鍼を腫瘍に直接刺して血管を焼くという荒療治も呂先生に無理に頼んでしてもらったが、これも効果はなかった。
 焦りはつのり、それが表情やふるまいに出てしまうのを抑えることができなくなった。時には早紀にあたることもあった。早紀は私の苦悩を一番身近に感じていたので私の理不尽な怒りにも反論せず、ひたすらなだめた。人知れずかわりに流した涙も少なくはなかっただろうと思う。
 私は必死で治療法を探した。どんな遠くの医者であろうと、どんな高額な治療であろうと、可能性があるのならトライするつもりでいたが、これはと思えるものは見つからず、徒に月日は過ぎていった。
 顧客の紹介で整体にも通ってみた。その先生によれば鳩尾の周辺が固くなっていることが原因だということだった。そこを集中して治療してもらったがわずかな効果も見られなかった。
 私のあらゆる努力を全く意に介さないかのように、腫れは着実に大きくなっていった。もはや鏡で見るとあまりの醜悪さに自分でも目をそむけるような状態になった。私は鏡やガラスなど、自分が映るものを避けるようになった。それでも街を歩いている時に何かのはずみでふとショーウインドーなどに映る自分の顔を見て、ぎょっとすることはあった。そういう日は一日沈んだ気分が回復しなかった。
 途方にくれた状態のまま、また年を越してしまった。最初の治療からすでに三年を経過していた。

   十三

 顧客を訪問しても年始の挨拶が不要になった一月の中旬頃、私は小野先生から連絡を受けた。新しいレーザー機器を導入したので試してみたいということだった。海外では血管腫の治癒例もあるらしく、そのパラメーターも調べているということだった。それほどの期待感はなかったが他に治療法も見つからないので、私は再びレーザー治療にトライしてみようと思った。
 「それで治った例があるって?」
 早紀は嬉しそうに訊いてきた。
 「うん。海外でね。あるパラメーターで二ヶ月おきにレーザーをあてるげな。それを三回続けたら治った例があるって」
 「じゃあ半年かかるったい」
 「そうね。気長な話やけどね。まあ駄目でもともとたい」
 「でも治った人がおるんやけん、効くんやない?」
 早紀に励まされていると私の中でもわずかだが期待感が湧いてきた。
 一月の末に一回目の治療があった。小野先生の話ではそのパラメーターで治療した血管腫は数例しかないが、どれも必ず効果が見られ、完全治癒もあったということだった。そう聞くと期待感は増してくる。十分に賭けてみる価値はあると私は思った。
 かつての治療の際と同じく「ぐー」という音の後に束ねた針の刺激が走る。それを数回繰りかえす。その後は腫れが増し、毎日出血する日がしばらく続くのはいつもと同じだった。出血が止まる頃には少し腫瘍は萎んでいるが、徐々にまた腫れが戻っていくのも今までと同じ展開だった。
 三回治療しないと効果が出ないのであろうと解釈した私だったが、それにしても全く変化が見られなかったのは少し腑に落ちなかった。
 場所によっては早咲きの桜が見られた三月の末に二回目の治療があり、新緑まぶしい五月の末に三回目の治療があった。いづれも治療後の経過は同じで、六月末の状態は年明け前となんら変わりはなかった。

   十四

 七月に入ると腫れが二段に変化し、横に倒しただるま型になった。色も血が固まったようにどす黒くなった。腫瘍は重みを増して顔を下へと引っ張るので、まるで溶けていくみたいに顔の左側だけ垂れた状態になっていった。
 梅雨明けの空を見上げる頃には私の精神状態はそれまでで最悪の状態になっていた。
あぁついに万策つきた。自分は見放された。この醜いものとの縁を切ることなく一生を終われということなのか。ことここに至っては根は上昇思考の私といえど事態をプラスに転換して考えることはできなかった。
それまで客先に出る時には曲がりなりにも仕事なので笑顔で対応できてはいたのだが、夏に入る頃からはそれも出来なくなり、顧客に「元気ないですね?」と言われることがしばしばあった。
励ましてくれる人たちの言葉は、言った本人に悪気はないのだが時には傷口への塩となった。
「なんね、たかだか三年苦しんだくらいで。不治の病で一生苦しむ人はたくさんおるとよ」
「痛みもないし、悪性やないんやからいいやない。生死にかかわりないんやから」
これらの言葉は私には憤りしか与えなかった。もちろんその場で慰めてくれている相手に血相変えて反論などはしなかったが、自分の抱えている荷がどれほど重いかをわかって欲しいという主張はしたかった。だがうまく表現できないことはわかっていたし、もはやどういう人のどういう言葉も何の益にもならない心理状態だったのでただ黙って空虚な励ましが終わるのを待つだけだった。
私が苦悩の中で学んだことがあった。それは、悩みや苦しみは他と比較するものではないということだった。頬に切り傷が残った人に、それくらいで悩むなとは言うまい。胃潰瘍になった人に胃癌よりましだなどとは言うまい。どれだけ辛いかは本人にしかわからないし、悩みや苦しみに基準などないのだから。
生まれながらに障害を持つ友人が、強く生きるこつをアドバイスしてくれたこともあった。「障害と友達になる」それが彼の言わんとするところだった。そうすれば意外とすんなり現実を受け入れることができるということだった。ありがたいアドバイスだと思った。しかしまだその深く尊き助言を受け入れるだけの余裕が私の中にまだ用意されてなく、その意味するところのほんの一部も理解できなかったことが、友人の気持ちを蔑ろにしたようで後に私の大きな後悔となった。
楽しいはずの夏は憂鬱に押さえ込まれたままいつしか秋風が立ち、暦は九月へと入っていった。ただ時が流れていくだけだった。
そしてある日、ついに心の中に死が浮かんだ。この顔のまま生きていくのは耐えられない。もし治らないのなら道は二つ。人に会わない仕事にかわり、静かな山奥かどこかで一人で暮らすか、もしくはさっさと自分の手で幕を閉じるか。
死ぬなら静かなところで。そう考えてある日、古賀市の山奥にある池の畔に立った。そこでどういう方法で死ぬかは考えてはいなかったが、死ぬならこういう場所がいいなと思いながらただふらふらと池のまわりを歩いた。  
その時は漠然とではあるが私は自分のすぐ傍に死神が迎えに来ているような不気味さを感じた。
古びたベンチに腰掛けて、風もなくさざなみ一つたたない鏡のような池の面を眺めていた時に、私の両手は無意識に重なり、口からは湧水のように自然に祈りの言葉が出て来た。
神様、どうかこの腫瘍を私から取りさって下さい・・・・・・。

   十五

  食事の時などにしばしば歯が痛むようになったので、私は自宅近くの歯医者に行った。篠崎という歯科医の先生は、私の唇を見て驚いている様子だった。そしてどういう経緯でそうなったのか、どういう治療法を試したかを根堀葉堀聞いた。歯痛のほうは大したことなくすぐに処置は終わったが、篠崎先生は唇の腫瘍の対策のほうにむしろ使命感を感じているように私には感じられた。
 「これは一度九大の口腔外科に診てもらったほうがいいですよ」
 「口腔外科ならどういう治療になりますか?」
 「方法はいろいろありますけど、手術ということになるでしょうね」
 「手術は一度考えたんですけど、再発の危険性があることと、術後の唇の形を保証できないと言われたんで二の足を踏んだんです・・・・・・」
 「私が紹介状書きますのでとりあえず一度診察だけでも受けてみて下さい。その上で手術をするかどうか、決められたらいいですよ」
 「はい」
 「まだこの先長いですが、そのままの顔で生きるのも一つ。ここで冒険してみるのも一つ。よく考えて決められたらいいですよ。私は手術をお勧めしますけどね。たとえうまくいかなくても今よりひどくなることはないと思いますよ」
 言われてみればもはやここまできて何を恐れる必要もないわけで、術後の形が崩れようが今より幾分でもよくなるのなら十分試す価値はある。私がそこまでの結論に達するのにはそれほど時間はかからなかった。そして翌日すぐに九大病院に予約の電話を入れた。

   十六

 十月、九大病院での最初の診察の日。私は受付を済ませ、診察室がある階へとエレベーターで上がった。五階顎口腔外科。案内に書いてあるその字をため息をつきながら眺めた。
待合室で流れているテレビの料理番組を見上げていたところで診察室に呼ばれた。ドラマにでも出てきそうなきれいな女医だった。私の腫瘍はそれまであらゆる医者を驚かせたが、ここでもそうだった。すぐにベテランの先生二人を呼んで一緒に私の唇を仔細に観察していた。
「これは大きいですねぇ・・・・・・」
「もう表皮があまり残ってないみたいやね」
「内側からだけ切開しても唇は残せんとやないですか」
すでに覚悟はできていたからか、悲観的な医者の会話を聞いても私はそれほど失望はしなかった。あるいは失望するということ自体に慣れてしまっていたとも言えた。
とりあえずエコーとMRIで現在の腫瘍の状態を詳細に調べてから手術の方法を考えようということになった。そしてその日のうちにエコーだけを撮影し、後日MRIの撮影をすることになった。
十日後、私はMRIの検査を受けた。前回とは違って今回は造影剤を使った。血管に刺した針から造影剤が入って体中に温かいものがめぐっていく感覚が不気味だった。そして洞窟の中での不動の体勢。つばを飲み込んではいけない。いろんな治療を受けてきて、私はもはやどういう処置にも動揺しなくなり、無心で俎上の鯉と化しているようになった。
MRI検査の一週間後に診察結果が出て、治療方法が決まった。結果は先天性の動脈畸形による良性腫瘍。そのまま放置しておくと更に肥大化し、患部にわずかな切り傷が生じても大出血を起こす危険性があるということだった。
口唇の血管腫の切除を経験している笹野先生が執刀することになった。今ならまだ唇の外皮を残したまま、内側から血管腫の摘出が可能だということだった。ただし腫瘍につながる動脈の血流が激しいので、事前にカテーテルを使って患部周辺の血管の流れを止めて、その後に摘出術を行うということになった。
私の上に白い羽毛のような希望がひらひらと舞い降りてきた。今はこのかすかな希望にすがるしかないと思った。思い切ってこの身を神の手と九大病院に預けてみようと私は腹を決めた。
十一月に入って手術の日程が決まった。年明けの一月十六日より入院。二十一日に手術となった。

   十七

 一月十六日の朝、荷物を抱えて私は早紀と二人で九大病院の門をくぐった。担当の看護師から入院に関する注意事項を聞くと、病室へと案内された。九大病院は数年前に新築されており、清潔快適で能率的な造りになっていた。通された病室は四人部屋で、先に入っていた三人はみんなかなり高齢の人だった。
 夕方に会議室のような部屋に呼ばれて、私は早紀と二人で治療に関する説明を受けた。執刀する笹野先生と口腔外科の部長の先生、そして大学生のような若い先生が二人いた。
 腫瘍の摘出については、正直その場にならないと、摘出後にどれくらい唇の形を元に戻せるかはわからないということだった。概ねいい感じにはなると思うが、100%元のきれいな唇の形に戻ることはないと言われた。そして術後は唇の感覚が完全に戻るまで半年から一年待たないといけないということだった。
 私の決心は固まっており、どういう条件が付されたところで揺らぐものではなかった。ここを退院する時にはなんらかの結果が出ている。ただそれだけのことだと思っていた。
 説明を聞いた後、早紀が帰る時には初めての入院ということもあってさすがに不安なものがあった。最初の夜は寝つきが悪かった。

   十八

 入院して四日目がカテーテルで止血をする日だった。
 まず導尿管をつけられ、次に造影剤を薄くするための点滴をされた。造影剤を血管に流す場合、それだけでは濃いのでそういう処置をするということだった。その後に内臓の動きを止める筋肉注射をして、ストレッチャーに移されて放射線科へと運ばれた。
 SF映画のセットのような大きな機械に囲まれた中で局所麻酔を打たれ、身体を固定されたまま三時間もかけて処置を行った。
 足の付け根から血管の中に入れられたカテーテルが口唇の近くまで進んで行き、そこに血を止める物質を置いて栓をする。これによって腫瘍へと血液が流れこむのを防ぐことで、手術中の出血をおさえることができる。ただしこの“栓”は三日間で溶けて流れてしまうので、三日以内に手術をしなければならない。そういうわけで手術は明後日に行われる手筈になっていた。
 私にとって辛かったのはその処置の後の六時間に及ぶ絶対安静だった。それもただ寝ているだけではなく、足を真っ直ぐに伸ばしたまま、寝返りを打つことも許されず六時間耐えなければならなかった。この時に私を襲った腰痛は脂汗が浮かぶほどひどく、退院までのあらゆる経験の中で最も辛いものとなった。
 翌日、麻酔医が手術の際の麻酔についての説明に来た。麻酔が原因で死亡する確立は十万人に一人で、百パーセント安全なものではないことを強調した後に書類にサインを要求された。入院中に私はあらゆる書類にサインをした。責任逃れの証拠のような気がしなくもなかったが、何も言わずに従った。
 いよいよ手術が翌日に迫った。この日の夜、私はまた祈った。真摯に祈った。もう祈るしかなかった。

   十九

 運命の朝。テレビではオバマ大統領就任のニュースが流れていた。
 私は同室の患者に見送られ、車椅子で手術室へと運ばれた。早紀も不安げな顔でついてきた。三階の大きな手術室の前で、「家族の方はここまでですので、何かお話になることがあればどうぞ」と言われ、私は笑って「生まれ変わってくるよ」と早紀に言った。早紀は寂しげな顔で笑っていた。
 ドアが開いて入ったところは手術室ではなく、たくさんの手術室が並ぶエリアに入るための入口にすぎなかった。そこからさらに奥へと運ばれ、一番奥の手術室へと運ばれた。
 車椅子からベッドへと自分で移動すると、点滴の針を腕に刺され、そこから麻酔が入っていくとの説明を受けた。
 酸素マスクをつけられ、腕から麻酔が入ってきた。「意識がある間は返事をして下さい」と言われ、私は「はい」と言った。眠るまでは何度か返事をしないといけないものと思っていたが、二度目の返事すら必要なかった。私は意識することなく、あっという間に夢の世界へと入っていた・・・・・・。

 「桐谷さん?」と呼ぶ声が聞こえ、私は「はい」と答えた。自分が眠ったという感覚すら覚えなかった私は、それが麻酔開始後の二度目の問い掛けだと思ったが、その次に言われた言葉は、「終わりましたよ」だった。
 気付くと既にストレッチャーで廊下を運ばれているところだった。すぐそばを早紀も一緒に歩いていた。早紀が喜びを隠しきれないという満面の笑顔で、「すごいよ!きれいになったよ!」と私に声をかけた。私はその言葉をすぐには信じなかった。きれいになったというのは早紀の基準で判断したことなので、どれほどの結果になっているかは自分で鏡を見るまでは信じないつもりでいた。
 仮にも顔の手術なので終わった後は顔中包帯を巻かれているものと思っていたが、顔にはガーゼひとつなく、むき出しの状態だった。病室に戻って自分で唇に触れてみると、縫合した糸とその隙間からドレーンが出ているのがわかった。早紀が鏡を出して、「自分で顔見る?」と訊いたが、私は「いや、まだいい」と断った。もう少し落ち着いてから自分で洗面台の鏡で見てみようと思った。
 しばらくは点滴をつけていたが、それが外されてから少し廊下を歩いた。ふらつくこともなく、何も問題なかった。
 早紀は自分のことのように喜んでいた。私がまるで別人のようにきれいになったとはしゃいでいた。
私は早紀が帰ってから夜寝る前に洗面台の前に立った。鏡には自分と思えない顔が映っていた。その顔に腫瘍はなかった。腫瘍の重みで下がっていた顔の左半分が元の位置まで上がり、左右対称に戻っていた。まるで腫瘍など始めからなかったかのように自然な顔がそこにあった。本当にこれが自分だろうか?これは現実なのだろうか?自分が見ているものを歓喜によって受け入れるまでには少し時間が必要だった。まだ気持ちの置き所がわからなかった。
私は混乱した心理状態のままベッドに入った。

   二十

 目が覚めるとベッドから見える空は曇っていた。雲を通った光は淡く、空全体が黄色に見えた。まだ黄砂が降るには早いのにどうして空が黄色いのかと不思議に思った。
 この四年間、目覚めたら腫瘍が治っていたという夢を私は何度も見た。その度に覚醒後の落胆が辛かった。だが今朝は、今朝こそはそれが現実になった。ベッドから起き上がり、昨晩と同じように洗面台の鏡の前に立って自分の顔を眺めた。治っている。きれいに治っている。ついに夢は現実になった。
 感動に打ち震える私の傍を看護師が通った。そして、「あれ?桐谷さんですよね?わ、きれいになりましたね!」と驚いていた。
 朝まだ早い時間から早紀が見舞いに来た。
 「どう?自分で見た感じは。きれいになっとるやろ?」
 「うん。期待した以上や」
 「よかったねー。お父さんたちに電話しとかんね」
 「うん。後であちこち電話しとく」
 二人が話しているところへ手術を執刀した笹野先生が診察に来た。
 「先生、ありがとうございました」
 私は自分の中のあふれんばかりの感動を感謝の形にして思い切り笹野先生に伝えようと思っていたが、いざ本人を前にすると出て来た言葉はそれだけだった。笹野先生は、「唇いい感じになりましたね」というセリフを残して静かに病室を出て行った。早紀はその後姿を見ながらぽつりと、「やり甲斐のある仕事やねえ・・・・・・」と言った。笹野先生の背中は男が仕事を終えた時のそれだった。自分の成し遂げた大きな成功を殊更誇ることなく、ただ労わりの一言をかけて去って行く。私はこれほど頼もしい男の後姿は見たことないと思った。
 食事も歯磨きも通常通りできた。食事こそまだ流動食だったが、生活において何の不便も感じなかった。
 午後から家族や顧客に電話で報告した。見舞いへの応対や貰ったメールへの返事などで病院にいながら夜まで多忙だった。

   二十一

 経過が医者も驚くほど順調だった私は、手術後六日目に退院することになった。笹野先生をはじめ、世話になった多くの人々への抱ききれないほどの感謝の気持ちとともに、私は迎えに来た早紀の車で九大病院の門を出た。
 車窓から見る街の風景は、これが長年住んだ自分の街かと思えるほど私には違ったものに見えた。途中、店のガラスなどに映る自分の顔を見て一瞬驚いた後、「あ、そうか、もうないんだ」と何度か思った。
 生きていてよかった。あきらめなくてよかった。私が今思うことはそれだった。
 不治の病で苦しむ人は多い中で、なぜ自分の場合は治ったのか?この究めて治癒例の少ない先天性の動脈畸形による良性腫瘍がなぜ治ったのか?術後の口唇の形状は元のようには戻らないと言われていたのになぜここまできれいに戻ったのか?
その意味するところをこれから生きていく上で必ず見つけなければならないと私は思った。平凡な人生を歩んでいた私の背中に重荷が課せられ、三年九ヶ月の間苦しんだ後に取り去られた。この一連の出来事に何も意味がないはずはない。私は些か宗教的な使命感すら感じたが、何が正解であるにしろそれを受け入れ、何らかの行動を起こさなければならないという焦燥を感じた。
残雪に汚れた街並みが視界を過ぎて行き、ふと気付くと我が家の門が見えていた。早紀が、「今日は家でゆっくりしとかんね」と言ったが、私の中に何か逸り立つものがあったので、午後からは仕事に出ようと思った。

              (完)

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妖刀

 その刀は長さ二尺四寸二分五厘、反り五分、元幅一寸一分、先幅七分六厘、重ね二分、目釘穴は二つ。無銘。妖艶に波打つ刃文は誘うような光を放ってその存在感を主張していた。
 高原は目の前に置かれたその刀を静かに手にとった。まるで吸い付けられるような美しさだった。榊原はその様子を横で見ていたが、高原が刀を鞘におさめるのを待って話しかけた。
「どうです?率直なところをひとつ」
「いやこれは・・・・・・なんとも・・・・・・」
「私はここまで光が生きている刀は初めてです」
「確かに。吸い寄せられそうですね。見事なもんです」
 榊原は九州でも指折りの日本刀収集家だった。彼のもとには一振り数百万からの名刀が集まっている。いずれは自分所有のものだけで展示会をしたいと考えているほどそのコレクションは豪華なものだった。
 福岡で表装屋を営む高原は骨董の展示会で榊原と知り合った。まだ三十代になったばかりの高原と、五十の坂を下っている榊原とのつながりは、日本刀への愛着がとりもったものだった。
「どうしてこれだけのものを手放す決心をされたんですか?」
 高原は奥さんが実家に帰っているせいで慣れない手つきでお茶を入れている榊原に尋ねた。
「うん・・・・・・私もこれだけの名刀に再び会えるかどうかははなはだ疑問ですが、どうもなにか、不安なんです」
「不安?」
 榊原はお茶を高原の前に置いた。高原は一礼してそれを手にとった。
「うまく表現できないんですが、どうも落ち着かなくて・・・・・・不安なんです」
「この刀を誰かに奪われるんじゃないかと?」
「そういう不安とはまた違うんですが、なんと言いますか、自分の中に根拠がはっきりしない不安感が慢性的にあるんです・・・・・・すいません、うまく言えなくて」
「体調が悪いと?」
「いえ、身体はいたって健康なんですが・・・・・・」
「これだけのものはそうめったにあるものではないというのはご存知ですよね?」
「ええ。充分承知の上です」
「それでも売りたいと」
「はい」
 高原は茶を持ったまま、胸中を表現する言葉がうまく見つからない榊原を眺めていた。八畳の和室の中に正座している榊原の表情には、形を崩せない公の場で家族の訃報を受け取ったような、抑えるに抑えきれない暗い影があった。
「高原さんのお知り合いにどなたかいませんか?せっかくの名刀ですから骨董屋に買いたたかれるのもしゃくですし、本当に日本刀が好きな方に安くお譲りしたいので。本当は原さんにお譲りしたいところですが、私が知っている人はちょっと避けたい気もしまして・・・・・・」
「なるほど」
「ただ・・・・・・私としてもちょっと心苦しいというのもありまして、なかなか決心が鈍るところでもあります」
「というのは?」
「このよくわからない不安感も一緒に、次の人に譲るような気がして・・・・・・」
 この時ふと、高原は横にある刀が鞘の中で二人の会話を聞いているような気がした。
「気にしすぎですよ。これだけのものを安く手に入れる喜びのほうが大きいと思いますよ」
「そうでしょうか・・・・・・」
「とにかくお任せ下さい。何人かあたってみたい人はいますので」
「助かります・・・・・・」
「この刀を持っていてそういう不安感に悩んだという人が他にいました?」
 高原は横目で刀をちらっと見た。
「榊原さんの前に持っていた方はどうだったのでしょう?」
「私も同じことを考えまして、紹介してくれた骨董屋に聞いてみました。なんでも湯布院にお住まいの大木さんという方が所有されていたそうです。売った理由までは骨董屋は知りませんでした。私は出不精ですから湯布院にまで言って根掘り葉掘り聞くのも面倒なのでそのままにしています」
「湯布院の方ですか。住所詳しくわかりますか?」
「行ってみられるのですか?」
「行って話を聞いて、もし何もなければ榊原さんの杞憂を晴らすことになるでしょう?」
 榊原は薄いしわを寄せて優しく微笑んで、
「お手数おかけします・・・・・・」
 と言った。

 年が明けたら久しぶりに温泉にでもつかってのんびりしてみるかとここ数日高原は考えていた。行く先は決まっていなかったが、榊原の件を調べるついでということで湯布院にした。夫婦で温泉の旅というのもしばらくぶりということで、高速道路を走らせる車の中で彼の妻は喜びが隠しきれないという感じだったが、高原の心中には少し不安なものがあった。もし大木という人もあの刀を手放した理由が同じなら、早急にあの刀を売りさばいてあげないといけない。持っているだけで不安を感じるなど考えただけでも気持ち悪い。そんなものは刀を投資の対象としか考えないどこぞのコレクターに売ってしまえばいい。
 だがしかし、たかが刀だ。持っているだけで気分が悪くなるだろうか?全くの榊原の杞憂だとすれば、あの名刀ももったいないような気もする。窓の外の景色のように、彼の心中ではいろんな考えが通り過ぎていった。
 車は高速道路のインターを出て、湯布院の街へ降りて行った。宿に着くと先に荷物を預け妻もそこに置いて、彼は一人で大木家を訪れるために湯布院の街中へ出た。目指す家は宿から歩いて一〇分ほどのところにあった。日本刀が趣味というだけあって、家の造りは古風で趣のあるもので、後方にそびえる由布岳と融合するかのような、自然な美しさを持っていた。
 前もって約束していたので、玄関で名乗るとすぐに座敷へ通された。雪見障子から小さな庭に生える梅の木が見えた。床の間にはひび割れた鏡餅がそのままになっていた。
「お待たせしました。どうも初めまして」
 大柄な体格のその人物は温和な笑顔で座敷に入って来た。
「初めまして。福岡の高原と申します」
 高原は名刺を出した。一通りお互いの自己紹介と、湯布院の自然を話題にした後で、高原は本題に入った。
「それでは単刀直入にお伺いしますが、なぜあの刀を売られたのですか?」
「いや、本当は売るつもりはなかったのですよ。あれを手に入れた時は本当に嬉しかったですからね。誰にも売るものかと思っておりました。あなたも見られたならご存知でしょう?あの光はそうとうなものですよ。きっといろんな過去を背負っていると思います。私は朝と夕方と一日二回眺めていましたよ。いやあ、飽きませんね。本当に素晴らしかった。だからあの話を小耳に挟んだ時は非常に複雑な心境でした」
「話とは?」
 高原は不安なものを感じた。
「私の前の所有者のことです。筒見さんという方です。あの刀は私の知合いの収集家の方からの紹介で買いましたので、筒見さんという方の素性を私はよく知りません。それでこの話は買った後に聞いたのですが、どうもその方は自殺なさったそうです」
「・・・自殺?」
 高原は待ち受けていたものが来たようで、体が緊張するのがわかった。
「先に聞いていれば刀は買わなかったのですがね。その方が自殺されたので、集めてあった骨董などとともに売りに出されたのがあの刀だそうです。それを聞くとなんだか気味が悪くて・・・・・・。それで売ってしまうことにしたのです」
「どうして自殺されたかは聞かれなかったのですか?」
「そこまでは聞いていません」
「その刀が何か関係しているのでしょうか?」
「いえ、何も聞いていません。ただ、その人は経済的にも家庭的にも恵まれていて、自殺の原因に思い当たるものはないということだけは聞きました」
 高原はその話を聞いて、湯布院に来る前よりも自分の中の不安感が強くなるのを意識した。

 湯布院から戻って来た高原はすぐに榊原を尋ねた。刀を見せてもらった同じ部屋で会ったが、今回は刀は片付けてあった。
「自殺ですか・・・・・・やっぱり気味悪いですね。高原さん、もういいですよ、どんなに安くでもいいです。とにかく早く売ってしまいたいです。もう骨董屋に買いたたかれてもかまいません」
「そうですか。まあそのほうがいいでしょうね。どちらの骨董屋に持って行かれます?」
「黙って売るのも気がとがめるので、事情を全部話してそれでも買ってくれるところを見つけないといけないですから、時間はかかるでしょうね」
「私の行きつけの店にも聞いてみます。榊原さんの体調が刀のせいでないにしろ、売ったことで少しでも気が晴れるのでしたらそうするより他にありませんね」
「今回は高原さんにいろいろとお手間とらせて、本当に申し訳ないと思っています」
「いえ、私もこの刀の行く末がちょっと気になりますので、勝手に動いているだけです。気になさらないで下さい」
 高原は恐縮している榊原の姿を見て、自分が湯布院に行く前よりも元気をなくしていることに気付いた。わずか数日のことなのに確実に榊原からは精気が失われているように感じた。高原は焦りを感じた。

 高原はすぐになじみの骨董屋や日本刀の店を数軒まわったが、事情を話すとやはりどこも買うことに二の足を踏んだ。説明する側にも後ろめたさがあるからか、言葉に力が入らず、店を納得させることができなかった。
 考えうる店を全てまわり終わったが、どこからもいい返事が貰えず高原は途方に暮れてしまった。榊原に会わせる顔がないと、数日足が遠のいた。何かいい考えはないかとあせるが、特に何も浮かぶでもなし、仕事にも身が入らない始末だった。

 打つ手ないまま、ことの次第を相談しようと高原が向かったのは、小説家の真行寺の家だった。九州の文壇を代表する真行寺は歴史小説を得意とし、一部読者には絶大な支持を得ていた。骨董の趣味があったので表装を高原に依頼した縁から二人の間に行き来が続いていた。
 真行寺は日本刀も三振りほど持っていたが、常日頃から名刀を探しているというほどではなく、部屋の飾りとして購入したにすぎなかった。だが日本刀を全く知らない人よりもいくらか話は通じるだろうと高原は真行寺の家の門をくぐった。
「退屈しているところにいい話し相手が来た。高原君、どうだね?商売の方はうまくいっとるのかね?」
 洋室のソファでタバコをくゆらせながら、真行寺は尋ねた。
「いやぁ、今時表装屋というものがはやるわけありませんよ。まぁなんとか食べてはいますけどね」
「最近の景気なら食べていけるなら良しとしなくてはね。それにしても九州の経済の停滞を見るのはもう飽きたね」
「先生の方はどうですか?いいのが書けています?前回の八幡太郎義家はよかったと思いますよ。次はどんなのを書いてらっしゃるのですか?」
 真行寺はたばこを灰皿に置くと、ソファの背に深くもたれて大きなため息をついた。
「いやそれがさ、ちょっと行き詰っててね・・・」
 真行寺が天井に向けた目は何を見るでもなくまるで精気がなかった。無表情の顔の中でただ口だけが動いていた。
「今回はどうしても関が原を書きたくてね」
「いいじゃないですか。書いて下さい。司馬遼太郎も池波正太郎もいいけど、先生の書く関が原はまた違った面白みがあると思いますよ」
 真行寺の作品を全て読んだ高原は、その特徴を余すところなくつかんでいた。時代考証を徹底して行い、よりリアルに描こうとする真行寺の筆は多くの読者にとって非常に魅力だった。
「だがね、高原君。あの関が原を私流に描くとなると、どうしても今ひとつつかめないものがあるんだよ。一体刀というものは合戦の時には何人くらい人が斬れるものだろうか?どんな手ごたえなんだろうか?どんなふうに血が飛ぶのだろうか?私はね、今まで何度も合戦のシーンを書いてきたけど、この関が原だけはもっともっとリアルに書きたいんだよ。だがそのためのインスピレーションが今ひとつ得られないんだ」
 真行寺は視線をまっすぐ高原に合わせた。
「高原君、芥川竜之介の『地獄変』は知ってるだろう?天才絵師の良秀が焦熱地獄絵を描くために娘が乗った牛車に火をつける話。現実ならまるできちがい沙汰だが、僕はね、あの良秀の気持ちがよくわかるんだよ。実物を見ずにリアルに描くということは本当に難しいことだよ」
 いつしか真行寺の言葉は熱くなっていった。高原は少し気圧されて言葉を挟むのがためらわれた。真行寺はそんな高原を見て我にかえった。
「あ、すまんね。僕ばかり話してしまって。ところで君の用事はなんだったの?」
「用事というほどでもないのですが、ちょっとご意見を伺いたいことがありまして」
 高原は刀の一件を真行寺に話した。話していくうちに真行寺がどんどん興味を持ち始めているのが高原にはわかった。
「そんなに不気味な刀なのかい?」
「そうですね。なんとも言えない妖しさがあって、素人の私にも相当なものというのはわかりました」
「一度拝見したいもんだね。きっと何か曰くがあるんだよ。きっと遠い昔に誰かを斬ってるよ。たくさん血を吸っているから持っている人の気分が悪くなるんじゃないかな?」
「私もそうじゃないかと。きっとそういう歴史を背負っていると思います」
「まぁ刀だからね。古いものなら当然血は吸っているだろうけど」
「ええ。でも多分あの刀はもっと何かありそうな・・・・・・ひょっとすると村正のような逸話があるのかもしれませんね」
真行寺は興をそそられた様子でソファから身を乗り出してきた。
「高原君、村正の話は嘘だよあれは」
「え?そうなんですか?」
 伊勢の刀匠村正の刀はかつて徳川家に災いをもたらすものとして忌み嫌われたという逸話がある。原はそれに似たものがこの刀にもあるのではないかと思った。
「家康の長男の信康が死罪になった時に介錯に使われたとか、いろいろエピソードがあるけどね、どうも真偽のほどはあやしいよ。それよりも高原君、こう言うのもなんだか無責任で申し訳ないが、一つ見せて貰うわけにはいかないかね?」
「ご覧になりますか?なんなら私が借りてきてお持ちしましょうか?」
「いやそれは嬉しいね!是非拝見させてもらうよ」

 高原が一週間ぶりに榊原の家を訪ねてみると、主は風邪をこじらせて寝込んでいた。だが高原の来訪を待ちうけていたので無理に起きてきて対面した。
「見つかりそうですか?」
 面やつれした表情の中に期待が浮かんでいた。
「それが・・・・・・やはり事情を打ち明けるとなかなか・・・・・・」
 榊原はあきらかに気落ちした表情に代わって「・・・・・・そうでしょうね」とつぶやいた。
「それで今日お邪魔したのは、あの刀をちょっとお借りできないかと思いまして」
「どうされるのですか?」
「私の知り合いに歴史小説を書く先生がいまして、真行寺先生ですけどご存知ないですか?あの方がどうしてもその刀を見たいと言われるので」
「あぁ構いませんよ。それで気に入って買ってくれるといいんですけどね」
「先生の場合は興味本位でしょうけど、私も若干の期待はしています」
 榊原は奥に引っ込み、しばらくして大きな桐の箱を抱えて戻って来た。
「ちょっと重いですけど大丈夫ですか?」
「車で来ましたから大丈夫です。何日くらいお借りしてもよろしいですか?」
「何日でも。ずっと返って来なくてもいいですよ。ははははは」

 そのまま高原は車で真行寺の家へ向かいながら考えた。返ってこなくてもいいとまで言っていたからには、売れない場合は捨てるつもりだな。捨てるにはあまりに惜しい名刀。そうなったら自分が引き取ろうか。いやちょっと気味が悪いしやはり縁起でもないからやめておくか。いやでもただならもったいない。もしかすると真行寺さんが気に入って買うかもしれない。そうなると解決するが、真行寺さんのほうに何かあるかもしれない。やはりこの刀は捨てるほうがいいのではないだろうか・・・・・・。
 複雑な思いを抱えたまま高原の車は真行寺の家の前に着いた。桐の箱を大事に抱え門をくぐると、一番奥の十二畳敷きの広い座敷に通された。やはり日本刀を鑑賞するには和室に限るということか。部屋の中央あたりにそっと桐の箱を置いて主が出てくるのを待った。和室の空気は冷たかった。家政婦が入ってきてエアコンのスイッチを入れてからすぐに出て行った。入れ替わりに真行寺がのっそり入って来た。
「おお、来ましたね。これがあの刀ですか」
「持ち主の方が、飽きるまで何日でも眺めて下さいと言われていましたから、どうぞごゆっくりお楽しみ下さい」
「どれどれ、精気を奪う刀とやらを拝見させて頂きましょう」
 真行寺は箱の蓋をとると刀を静かに取り出し、作法に習って鞘から刀身を抜いた。鞘を傍らに置き、刀身を目の前に立ててらんらんと光る眼でその輝きを追った。
「これは・・・・・・」
 刀を鑑賞する際には言葉を発することは厳禁であることは真行寺も充分承知していたが、あまりの美しさに思わず声が出てしまうのをどうすることもできなかった。
「すごい・・・・・・高原君、すごいよ・・・・・・まさに妖刀だ・・・・・・斬ってるよ・・・これは人を斬ってる・・・・・・それも何人もね・・・・・・わかるよ・・・・・・たくさんの血を吸ったんだね・・・・・・」
 高原は借りてきた刀の前で作法も顧みず言葉を発する真行寺を見て慌てた。普段はそんなことをする人ではないのに、今日はどうしたのだろう?刀の前で言葉を発すると唾が飛んで錆びを生むかもしれないので、高原はなんとか真行寺の口をふさぎたかった。
「先生、まずは刀をふきましょう・・・・・・」
「いや期待した以上だ。これは名刀なんてもんじゃないよ。実に素晴らしい!」
 高原の言葉は真行寺の耳にまるで入らなかった。
「先生、どうぞこちらにお渡し下さい。刀をふきますので・・・・・・」
 真行寺の目はまるで刀から妖気が移ったように妖しく光っていた。柄を強く握った手は高原の言葉に従う様子はなかった。たまりかねた高原が「先生、お渡し下さい・・・・・・」と前に詰め寄ろうとしたその瞬間、真行寺は刀を持ったまま急に立ち上がって高らかに笑い始めた。
「ははははは!高原君!書けるぞ!書けるぞ!これで書ける!関が原でも桶狭間でも山崎でも、何でも書けるぞ!何でも書けるぞ!」
 そう叫ぶと刀を上段に構え、あっけにとられて見上げている高原の頭頂部目がけて渾身の力で振り下ろした。高原が人間の声とも思えぬ音を口から発すると、夥しい鮮血と脳漿がしぶきとなって畳一面を汚した。高原の頭脳は事態を理解する猶予も与えられなかった。体が畳の上にくずれた時は既にその肉体に意識はなかった。
 真行寺は血と脂に染まって鈍く光る刀をまだ強く握ったまま高原の骸を見下ろしていた。
「なるほど。この色だ。この感触だ。この匂いだ。ははははは!これで書ける!これで書ける!これで書ける!」

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千の灯火(ともしび) 最終回

 観音堂の中では高尾だけ撮影のために特別に上段に上がることを許された。関係者を意味する法被を着て、北村住職を正面から撮影できるように大きな観音像の足元にポジションをきめてカメラを構えていた。俺と遠田は参詣者に混じって下の段に座った。観音堂の中は蒸し暑かった。古ぼけた扇風機の風はむなしかった。
 読経が始まった。北村住職の声が観音堂の中に響いた。住職の声は大きかった。参詣者の多くは暗記している御経を住職の声にあわせて低くつぶやいていた。時折高尾のカメラのフラッシュが光ったが、熱心に祈る人々の緊張を破るほどではなかった。
 俺の横で遠田は身動き一つせず住職の動きを見つめていた。荘厳な儀式の中に自分がいることが彼女にとって快い緊張感となっている様子だった。
 三十分ほどで読経は終わった。その後、北村住職がマイクを持って参詣者に挨拶した。檀家の役員の代表も挨拶をして、「千灯明供養」は終了した。北村住職たちは来る時と同じ順番で観音堂を下りていった。
 高尾がカメラを肩から下ろしながら近づいてきた。
 「俺、次の『結願法要』も撮影したいんやけど、二人はどうする?」
 「いいよ。俺は外で待っとくけど遠田は帰る?」
 「いいですよ。私も待ってます」
 「悪いね。じゃ終わったら山門に行くけん」
 高尾はまた上段に戻って行った。俺と遠田は参詣者に混じって観音堂の外に出た。すっかり陽は落ちて肌に触れる夜気が快かった。  
観音堂への石段の上から境内を眺めることができた。提灯と石灯籠の灯りで埋め尽くされた境内は淡い灯の海だった。幻想的な美しさは参詣者の足を止めた。俺の横に立った遠田はその光景に言葉も出ないようだったが、ようやく一言「すごいですね・・・」とつぶやいた。
 「きれいやろ?これを見せたかったんよ」
 かすかに動く灯の波の前では、雷山の闇も行き場を失った。
 「降りましょう?」
 遠田は俺を見てそう言った。足を止める参詣者の間をぬって、俺と遠田はゆっくりと石段を下りた。石段のちょうど中間あたりから境内のほぼ全体が見渡せた。そこで俺たちの足は止まった。
 俺はカメラを持っていたが、この幻想的な光景を収めることは俺にはできないとわかっていたので撮影はしなかった。ただ光の海に漂っていたかった。何ものにも喩えることが困難な美しさだった。
 俺の右に立っていた遠田の左手が、俺の右手を捜して、軽く握った。俺も軽く握り返した。だがその瞬間、俺の耳元で千秋がささやいた。
 「楽しかったね・・・」
 そうだ。楽しかった。この無数の灯を前回見た時には横に千秋がいた。同じように手をつないで眺めたことが思い出された。二人で夏の休日を満喫して、夜に千日観音祭を見に来て、この灯を眺めた時、千秋はその日の楽しかった出来事を振り返ってそうつぶやいた。
 そのことを思い出したことによって、俺の中で答えが出た。あの無数の揺れる灯の一つ一つは、千秋との数々の思い出だったのだ。どれも淡くやわらかい光を放っていた。俺の中の灯は消えてはいない。千秋との思い出があんなに明るく照らしてくれる。漠然とした確信が俺の中に起こった。俺は自分で、大丈夫だ、大丈夫だ、と思った。俺の目からは涙が溢れ出てきた。右手を遠田にとられていたので左手で涙を拭った。揺れる灯火は涙にとけて一つになった。


 その年の十月から翌年の二月まで、一年かけて取材した雷山千如寺の記事は「ちくし」に掲載された。予想以上の好評だった。瀬戸山課長はすぐにその記事の単行本化を決めた。俺と遠田と高尾はそのまま担当になり、春から補足記事の取材を開始した。そして七月にめでたく単行本「雷山千如寺の魅力」は本屋の新刊コーナーに並んだ。俺は北村住職に御礼を言うためにその本を持って雷山の山門をくぐった。七月末の暑い晴れた日だった。
 俺と北村住職は心字庭園の横の座敷でこの二年間の取材の思い出話をしながら時を過ごした。
 「おかげさまでなんとかできました」
 「いやぁ、お疲れ様でした。三人の努力が実りましたね。あの記事が出てから参詣者も増えましたよ。ありがたい話です」
 「そうですか。多くの人に知ってもらうのが目的でしたので、まずは成功という感じでしょうかね」
 北村住職はいつもの優しい笑顔のまま静かな口調で言った。
 「一段落したところですし、内田さんもそろそろ・・・」
 「・・・」
 俺はそれには答えずにかすかに微笑むと心字庭園に視線を移した。俺の中では全てが平穏だった。鯉が水をはねる音がした。そろそろサギソウが咲く頃かなとふと思った。
 
(完)
 
「千の灯火」の連載を終了します。
ご購読ありがとうございました。

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千の灯火(ともしび) 第49回

 八月、雷山の夏は一番の盛りだったが、高所にあるせいで平地よりは三度ほど気温が低かった。それでも日差しは強く、湿気は汗を誘った。時折鮮やかな緑の樹間を抜けてくる風が一息つかせてくれた。その日は最後の取材の日だった。この日にお参りすると千日の功徳が得られるという「千日観音祭」。朝の「開白」に始まり、「護摩供法要」、「歴代住職追悼法要」、「千灯明供養」、「結願法要」と五回に分けて行われる。俺たちは朝から千如寺に入った。昼の部は無事に取材を終えた。午後七時からの「千灯明供養」まで少し時間があったので、俺と遠田は玄関のところで一息ついた。高尾は境内を華やかに盛りたてる数えきれないほどの提灯を写真に収めるために、ポイントを探して走りまわっていた。俺と遠田は風に揺れる提灯を眺めていた。そこに北村住職がタオルで顔と頭の汗を拭いながら事務所から出てきた。俺は昼の参詣者の出足を訊いてみた。
 「いやぁ、おかげさまで今年もたくさん来られました。去年よりも早くからポスターとかチラシで通知してたのがよかったんでしょうね。でも多分、次の『千灯明供養』が一番多いと思います。昼間勤めてある人とかが来られますからね」
 「しかし暑いですね。法衣は暑いでしょ?」
 「もう汗びっしょりですよ。今日はもう二回も着替えました。あと二回頑張らないと。ははは」
 住職はタオルを首にあててさほど大変そうな感じもなく笑った。
 「六時四十五分くらいから観音堂に入りますんで、後は適当に取材よろしくお願いします」
 「わかりました」
 住職は戻りかけた足を止めて振り返ると、遠田のほうを見て言った。
 「遠田さん、ゆっくり見て行って下さい」
 「はい。ありがとうございます」
 遠田の返事は楽しげな感情を隠しきれていなかった。遠田は数日前からこの「千日観音祭」を指折り数えて待っていた。この行事は雷山の夏を象徴するものであり、かつ一年の行事の中で一番の盛り上がりをみせるものだった。俺はそのことをこれまで何度も遠田に説明してきたので彼女の中で期待度が増していたのだろう。
 「俺が文章とかは考えるけん、今回は遠田は何もせんでいいけん、とにかくしっかり見学しとかんね。いい経験になるけん」
 「はい」
 日差しが少し傾いて、肌を刺す暑さも少し和らぐと、提灯に燈がついた。提灯には短冊が下げられていた。そこには一世帯ごとに祈りが書き込まれていた。家族の祈りは夏の風にあおられて優しく揺れていた。提灯の数は境内を埋め尽くすほどにあった。上半分が淡い紅、下半分が緑で半分のところでグラデーションで交わっていた。その色によって境内は鮮やかに彩られた。
 陽が山に隠れ、境内に夕闇が近づき始めた頃に石灯籠に灯がつけられた。提灯は今では電球が入っており、昔のように一つずつろうそくの灯を入れることはなくなったが、石灯籠は今もろうそくだった。背の低いコップのようなものに太く短いろうそくを入れ、火をつけて石灯籠の中に置く。全ての石灯籠に灯がともると、昼間は眠っていたそれが、夕べに目覚めたかのように生き生きとし始めた。遠田はその様子を見るだけでも感動しているようだった。
 「私、石灯籠に本当に灯をつけるって初めて知りました」
 「灯籠本来の役目やけんね。ただの庭の飾りじゃないとよ」
 千如寺の石灯籠は無数にある。その全てに灯りがつくと「千日観音祭」の夜の準備は完了ということになる。
 事務所脇の玄関が騒がしくなった。準備を終えた住職以下、応援に来た他の寺の住職や檀家の役員たちが玄関先に並び始めた。先頭には印頭を持った若い僧が立った。次に檀家の役員が二人提灯を持ち、その後に他の寺の住職が数人続いて、最後に檀家の役員がさす大傘の下に鮮やかな納衣を着た北村住職がいた。一行は静かに歩き始め、俺と遠田が眺めている横を通って、ゆっくりと観音堂への道を進んでいった。参詣の人たちが道を開けた。背中の曲がった年老いた女性が数珠を持った手を合わせて一行を見送った。すでにそこには厳粛な雰囲気があった。俺と遠田はすぐに後から観音堂へと登って行った。

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千の灯火(ともしび) 第48回

 帰宅する車の中でハンドルを握る俺の気持ちは高ぶっていた。まだ自分の内側に熱が残っていた。だが言うべきことを言った達成感はあった。
福田さんとの応接室での会話で、自分が言った言葉は一字一句覚えていた。

 「仕事の話じゃなかったんですか?」
 「すいません。こげんでもせんば、ちゃんと聞いてもらえん思うて」
 「・・・私がずっと連絡しなかったことを怒ってあるんでしょ?すいません」
 「いいえ、私もちょっと時間置いて考えたとです。休みをもろうてちょっと旅行したりもして、いろいろ考えたとですけど、やっぱり私・・・」
 「福田さん、すいません、今日はきちんと返事しておきます」
 「・・・・・・」
 「だめなんですよ。まだもう少し千秋の思い出とともに生きたいんです。彼女の存在はあまりに大きかったんです。すぐに代わりの誰かを探して新しい人生をなんて、まだできないんです。ですので、どうか、そのへんをわかっていただけると・・・」
 「・・・・・・」
 「・・・お気持ちは非常にありがたいんですが・・・」
 「・・・わかりました」
 
あの時の彼女の目はどこか達観したような落ち着きがあった。俺がそういう返事をすることをある程度予想していたのかもしれない。彼女は静かに席を立つと、もう何も言わずに応接室から出て行った。その背中を見ながら、ひょっとすると俺は今ひとつのチャンスを見送ってしまったのかという思いがよぎった。だがすぐにそれを打ち消すように自分も応接室から出て会社に戻った。
福田さんを諦めさせるためとはいえ、俺が言ったセリフというのは同時に遠田に対して言っているのと同じことだということを後になって気付いた。千秋を過去の自分に任せて、これから新しい自分になろうとしていた矢先に俺の口から出たセリフは、自分の行く先を閉ざしてしまうものだった。
 理由はなんであれ、福田さんの気持ちを考えれば、彼女を断ったすぐ後に遠田とつきあうわけにはいかない。だがしかし、そもそも俺は本当に遠田が好きになったのだろうか?彼女への興味は本当に愛なのであろうか?ここに到って俺の中には大きな疑問が生じてきた。千秋と同じように彼女を愛せるだろうか?彼女が生きがいになるのだろうか?苦しみから逃れるための妥協だったのではないだろうか?だとすればこの感情は間違ったものであり、真の愛情ではないことになる。ここに到ってこういう疑問が自分の中に生まれるとは思っていなかった。嶮しい山の中で方角を見失い、今やっとかすかに道のようなものを見つけたが、それが正しい道かどうか自信がない。そんな状態に陥ってしまった。

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千の灯火(ともしび) 第47回

 その年の梅雨は六月後半から始まった。高尾が千如寺に撮影に行ったのは六月三十日だった。社内は締めで慌しい雰囲気だったが、音もなくしのつく雨の様子が撮影にちょうどいいということで高尾は一人で出かけて行った。俺と遠田は会社で事務処理に追われた。
 俺は自分の机で顧客名簿の書類を整理していた。その中に「天神プランニング」に関するものがあった。その名前に目を止めた時、俺は福田さんのことを思い出した。もう半年ぐらい何も音沙汰なかった。こういう形で一つの関係が徐々に薄くなっていくのは俺の本意ではなかったが、遠田のことを考えると俺のほうからどういう動きをしていいか検討がつかなかった。連絡がないのを幸い、このまま過去のフォルダーにしまってしまおうかとも思ったがどうもすっきりしないものがあった。
遠田は俺に尋ねたりはしないが、俺がはっきりとした返事をしていないことを知っている様子だった。その話題に敢えて触れようとしない彼女が健気に思えた。
 もろもろの考えに捕らわれていつしか俺の手は止まっていた。我に返って整理を再開したところに「内田!電話」という瀬戸山課長の声が聞こえた。
「一番に天神プランニングの福田さんから」
「はい」
俺の頭の中は一瞬混乱した。何も準備できていない、どういう態度でどういう言葉で何を言えばいいのか?携帯ではなく会社に電話すれば電話をとらざるを得ないと考えたのか?全くの不意打ちにやられた俺は話す前から負けている状態だった。ただ遠田がちょうど席を外していたのは救いだった。
「もしもし、かわりました。内田です」
「内田さんですか?ご無沙汰しとります」
「すいません、ご無沙汰しています・・・」
「あのぉ、うちの新企画の件でちょっと打ち合わせばしたいとですけど、今日お時間とれますか?」
「今日ですか・・・?」
時間は十分あるのに俺は予定を確認するように少し間を置いた。本当に仕事の話だろうか?それならば行かないわけにはいかないが、単なる呼び出すだけの口実なら?
「今日でないとだめですか?」
どうでもいいようなことを言って考える時間を稼いでも混乱した頭では何も思いつかなかった。
「できれば今日お願いしたいとですけど」
「わかりました。では三時くらいでは?」
「よかです。どこで会いまっしょ?」
「私がそちらにお伺いします」
「よかとですか?」
こちらに来られると面倒なことになるのはわかっていたので俺は慌てて押し通した。
「はい。三時にお邪魔します。ではその時に」
電話を切ると遠田の席を見た。まだ戻っていなかった。ほっとすると同時になぜ俺がこんなに気をまわさないといけないのかと思ったがもとはと言えば俺の曖昧な態度が原因なのだと自戒した。そしてこの機会を利用してはっきりさせてこようと心に決めた。
約束の時間の三十分前に会社を出た。傘をさすほどでもないゆるい霧雨が通りを覆っていた。行きかう車の中にはフォグランプをつけているのもいた。俺は歩道の水溜りをさけつつ足早に天神プランニングのビルへと急いだ。
一階の受付で名乗るとすぐに応接に通された。パーティションではなくきちんと個別の部屋になっていた。長椅子に浅くかけて福田さんを待った。事務員さん風の女性がお茶を運んで来たのと入れ替わりに福田さんは入って来た。
「お待たせしました」
彼女は屈託のない笑顔で接してくれた。
「だいぶご無沙汰してすいません・・・」
俺はビジネスライクにそう言うと軽く頭を下げた。そしてすぐに仕事の話題を切り出した。
「新企画ってなんですか?なんかうちと共同でできることですか?そうだとすごい楽しみです」
多少、社交辞令を交えて俺がそう言うと、彼女は自分の前に置いたファイルをすっと右側にずらして、正面から俺の目をはっきりととらえて言った。
「私の家にご招待しますけん、一緒に食事ばするっちゅうのはどげんですか?」
「え?」
「それが新企画です」

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千の灯火(ともしび) 第46回

 五月十日、千如寺では「御経会」が行われた。いつものように俺と遠田と高尾は朝早くから現場での準備に追われた。新緑が蔽う石段を登って、参詣者が集まり始めたのは朝の九時くらいからだった。
 北村住職が応援に来た他の寺の住職数名とともに観音堂に入り、荘厳な雰囲気の中に「御経会」は始まった。それぞれの位置に座った住職たちは厚い御経の束を箱から取り出し、その一つ一つを順番に念仏と太鼓にあわせて頭上高く掲げてぱらぱらとめくった。それが終わると力強く箱にたたきつけ、次の御経をまた同じようにぱらぱらとめくる。
 参詣者は後方でそれを見ながら手を合わせてしきりに祈っていた。高尾は御堂の中をあちこちに移動して、めくられていく御経や真摯に祈る参詣者、念仏を唱える住職たちを必死に撮影していた。
 全ての御経をめくり終えると観音堂での儀式は終了し、北村住職たちは一度下がって休憩時間が入る。そして三十分ほど後に場所を外の護摩道場に移し、そこで護摩を焚いて北村住職が御経を読む。二メートルほどに積まれた柴が勢いよく燃え上がる。参詣者はまわりを囲んで合掌していた。
 五月の日差しは柔らかく感じた。護摩の煙がかすかな風に渦を巻いて周囲の緑の中に消えていった。後で記事にするために、俺は少し高い場所に移動して、荘厳な儀式の一部始終をしっかりと頭に刻もうと真剣に見ていたので、いつのまにかすぐ後に遠田が立っていることに気付かなかった。
 「内田さん」
 「え?あ、びっくりした」
 「夢中で見てましたね」
 「うん。記事にどう表現するか考えながら見とったけん」
 「いいの書けそうですか?」
 「どうやろう?まぁ御経会は何回か見たけんね。なんとかなるやろう」
 俺と遠田の間には小さい石碑のようなものがあったが、遠田はそれをよけて俺のすぐ横に立った。
 「内田さん、福田さんからその後何か言って来てます?」
 「いや、何もない。約束はすっぽかすし、その埋め合わせもせんけん、たいがいあきれたんやろう」
 遠田はわずかに不安を表すかげを表情にたたえたまま、立ち上る護摩の炎を眺めていた。俺は彼女の横顔を見て、自分が今後どうすべきか、一つの結論をはっきりさせないと彼女の不安を取り除けないことに気付いた。
 いつまでも絶望の中に座り込んでいるわけにもいかない。重い腰を上げる時が来たのかもしれない。そんな思いが俺の中にあったが、具体的にどうすべきか思いつかなかった。訣別できない大きなものを抱えたまま、新しい人生を歩むことが果たして可能なのだろうか?あの護摩の炎に俺の悲しみも全て焼かれてまっさらになることができたらどんなにいいだろうと思った。
 護摩道場での儀式が終わり、北村住職が参詣者に御礼を述べた後、御経会の行事は全て終了した。高尾は重いカメラを抱えて汗だくで戻って来た。
 「晴れてよかった。柴が乾いとるけん、うまい具合に燃え上がってくれた」
 興奮気味に高尾が言った。そこに参詣者に混じって北村住職の姿が見えたので、俺は手を上げて住職に合図したら俺たちのほうに歩いて来た。
 「和尚さん、お疲れ様でした」
 「いやぁ結構日差しが強くてね。汗かいちゃいましたよ」
 「でも晴れてよかったですね」
 「いやほんと、よかったです。去年は雨だったからほんと苦労しました」
 住職は遠田のほうを見て、「どうでした?御経会は初めてでしょう?」と訊いた。遠田はいつもの好奇心に満ちた笑顔で、「はい。なんかおもしろかったです・・・」と御経をぱらぱらとめくるという儀式に対する率直な感想を語っていた。
 「内田さん、次は何の取材に来られますか?」
 住職は額の汗を拭いながら言った。
 「あとは、六月に梅雨の庭の様子の撮影に高尾がお邪魔します。そして最後は八月の千日観音です」
 「わかりました。今回の御経会もばっちり記事書いて下さい」
 「頑張ります」
 北村住職はいつもの穏やかな笑顔を残して参詣者の中に再び混じっていった。俺と遠田と高尾も帰路についた。護摩の煙はまだ境内の隅にただよっていた。

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千の灯火(ともしび) 第45回

 遠田を新宮駅まで迎えに行き、家に戻ってから狭いキッチンをシェアして俺がラグーソースのパスタを、遠田がオリジナルドレッシングのサラダを作った。
 「すごいですね、内田さん。ラグーソースとかも作るんですね」
 「基本的にパスタが好きだからいろんなパスタに挑戦したんよ。でもうまく作れたのは少ないんよ。これとペペロンチーノとカルボナーラぐらいかな。ポモドーロとか、トマトソース系があんまりおいしく作れんと」
 俺は物置からキャンティを出してきて栓を抜くとテーブルの上に置いた。それを見た遠田が言った。
 「うわー、そんないいワイン開けていいんですか?」
 「うん。独りの時に開けるの、もったいないけん。そのバゲットを薄く切ってオーブンであたためてくれる?」
 「はーい」
 軽やかな身のこなしから、彼女が上機嫌であることがわかった。
 「バゲット焼けたら食べよう」
 「はーい」
 我が家のテーブルに二人分の食事が用意されたのはかなり久しぶりだった。千秋のことがあってしばらくは家族や親戚が次々に泊まりに来て、俺を独りにしないようにしてくれていたけど、それよりも独りのほうがまだ精神的負担がないことを言ってからみんな気を使ってくれて、電話はしても泊まりには来なくなった。それ以来、自宅での食事はいつも独りだった。
 「焼けましたよ。食べましょう」
 「うん」
 ささやかながらテーブルに並んだ二人分の食事を見た時、俺は時間が戻ったような気がした。向かいに座っているのが千秋のような気がしたが、そんな幻覚を俺はすぐに振り払って遠田と乾杯した。
 「内田さん、おいしいですよ。ソースがよくパスタにからんでます。このパスタはどこのですか?」
 「バリラだよ」
 「あーやっぱり。おいしいですもんね」
 「遠田はパスタ好き?」
 「大好きです」
 「特に好きなパスタある?」
 「そうですねぇ・・・どれも好きですけど、一番よく食べるのはシンプルなペペロンチーノですかね」
 「そうか。それなら得意や。この次はペペロンチーノを作ってやろう」
 食べている手を止めて遠田が俺の顔を見た。
 「・・・この次があるんですか?」
 「なんで?もう来たくない?」
 「来ます!」
 そしてまた食べ始めたが、パスタで膨れた口のまま俺のほうを見て、「ふふ」と笑った。おそらくその一瞬の遠田の笑顔は俺が今まで見た中で最高にかわいかった。
 「連休明けたら御経会やね」
 俺は彼女を帰したくなくなるといけないと思い、話題を仕事にもっていった。
 「はい。千如寺さんの行事のイベントもあと二つですね」
 「そうやね。御経会と千日観音で終了や。でも千日観音は八月やけん、もうちょい頑張らんといけんね」
 「御経会ってあの御経をぱらぱらーってめくるやつですよね?」
 「そうそう。こないだ去年の写真を見せたろ?」
 「はい」
 「観音堂に和尚さんたちがずらーっと並んでね。太鼓と念仏にあわせて御経をぱらぱらーっとめくるんよ」
 「躍動感がある写真が撮れそうですね」
 「うん。高尾は腕の見せ所やね。あの行事をどういうふうにフィルムに収めるか楽しみや」
 食事の後、DVDを見たりしてゆっくり過ごした。
 遠田は九時の電車で帰った。駅での別れ際の寂しげな表情には名残惜しさがあったようだったが、俺は慌てる必要はないと思った。徐々に自分を変えていこう。新しくしていこうと思った。

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千の灯火(ともしび) 第44回

 ゴールデンウィークに入り、世間がリラックスムードになったが、俺は何の予定も入れていなかった。以前のように遠田も積極的に誘ってこなくなったし、福田さんからの電話やメールも俺がのらりくらりとかわしているうちに来なくなった。
 俺はこの機会に思い切って家中の千秋のものを片付けた。捨てることはできないのでなるべく目につかないところにしまいこんだ。居間の本棚やテレビの上にある写真だけはそのままにしておいた。だいぶ精神的に落ち着きを取り戻したとはいえ、箪笥の中の彼女の服を取り出す時だけはどうしても涙が流れた。彼女の服の感触が彼女の肌のそれのようで思わず頬をうずめてしまった。そしてわずかに残る匂いをかいでしばらく嗚咽した。
 服の整理が終わると涙を拭いて気を取り直し、家中を掃除した。全開にした窓から入る風がカレンダーを揺らした。外は快晴だった。その爽やかさがもったいないような気がしたので掃除が終わったら近くを散歩でもしようかと思ったところで携帯が鳴った。見てみると遠田からだった。俺はそのまま携帯が鳴るのをじっと眺めていた。しばらくすると呼び出し音は途絶えた。俺は携帯をそのままにして散歩に出かけた。
 近くにある公園までは歩いて十分くらいだった。そこまではよく千秋と歩いた道だった。走ると汗ばむくらいの陽気の中を独り病み上がりの病人のようにゆっくりと歩いた。風に揺れる葉桜の緑が美しかった。
 公園のベンチは陽にあたためられていた。座った時に背中にぬくもりを感じた。それが徐々に全身に伝わり、俺は目を閉じて暖かい季節の恵みを感じた。
 これから先どうしよう?どうやって生きていこう?それを考えるとまだはっきりしたものはつかめそうになかった。だが自分でも支えてくれる誰かが必要であることは感じていた。過去の整理は独りでしたかったが、未来の構築は独りでは無理だということが徐々にわかり始めていた。
 目を開くと公園で遊ぶ親子の姿が見えた。長く生きてきて未だに家族というものを形作ることができない自分がひどく情けない人間に思えた。おぼつかない足取りで歩く子どもの手をひく親の姿を見ていると、迷った山中でかすかな道を見つけたような気がした。俺は立ち上がると、急いで家に戻った。
 携帯を見てみると俺が出かけた後ももう一度遠田は電話していた。俺はすぐにリダイヤルした。
 「もしもし?」
「内田です。電話したろ?ごめんね」
 「あ、いえ、お休みのところすいません」
 「どうしたと?」
 「いえ、べつにこれといって用はないんですけど、連休中どうしてあるかなと思って・・・」
 「今日は家中の掃除をしたよ。終わってから今散歩に行って来たところ」
 「そうですか」
 「遠田は何しようと?実家に帰ったと?」
 「いいえ。家でぼーっとしてます」
 「そうか。じゃあうちに遊びに来るか?」
 「え?」
 「俺がなんか料理作って食べさせちゃるよ。どう?」
 「いいんですか?」
 「いいよ。無理ならいいけど」
 「無理じゃないです、無理じゃないです。じゃぁ本当に行っていいんですね?」
 「どうぞどうぞ」
 「すぐ行きます!」
 「博多駅出る時にメールして」
 「わかりました!」
 遠田の声は久しぶりに明るかった。その声で俺も元気を貰えるような気がした。
 「何作ってくれるんですか?何か買っていくものないですか?」
 「パスタでも作るか。ワインもバゲットもあるし、特に何もいらんよ」
 「じゃぁ私が何かサラダ作ります。少し野菜買って行きますね。バルサミコソースとかあります?」
 「あるよ。なんで?ドレッシング作ると?」
 「はい。私の得意のドレッシングがあるんです。それ作ります」
 「いいねぇ。楽しみや」
 「じゃぁ今から出ます」
 「了解。後でね」
 俺が電話を切ろうとした時、遠田が慌てて言い足した。
 「あ、それと・・・」
 「ん?何?」
 「あの・・・よかったです」
 「何が?」
 「内田さんが元気になって」
 「え?どういうこと?」
 「いえ、いいんです。ただよかったと思っただけです。それじゃ」
 電話は切れた。よかった?確かによかったかもしれない。そう信じたいと思った。

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